【ネタバレあり】『二十世紀電氣目録-ユーレカ・エヴリカ-』舞台挨拶付き先行上映(1~3話)に行ってきました。

6月14日、『二十世紀電氣目録-ユーレカ・エヴリカ-』舞台挨拶付き先行上映に行ってきました。

入場者特典は岡村さん描き下ろしイラスト。ハムヘイ、ビッグになったな…(偉そう)

私は喜八があたりました。

 

上映は1話から3話をぶっ通し。今回の上映ではあくまで「上映版」らしく、放送版では未公開カットもあるとか。

エンドクレジットは1~3話をまとめたものになっていました。

コンテは太田さん一人。演出は太田さん、山村さん、宮城さん。順当に行けば一話を太田さん、二話を監督経験ある山村さんがやってそうですが、芝居の誇張のさせ方とかアクション的に2話が宮城さんっぽく見えました。作監と原画はクレジットが速くて全然わからず。

舞台挨拶レポ

…を書こうと思ったらこちらにレポートが。

aniverse-mag.com

補足するところもあんまりないですね。短い時間でしたが太田さんの発言も多くて面白かったです。太田さんは見るからにド緊張してましたけど、発言はいろいろ小ネタを入れていくスタンスで、それもまた面白かったり。

アニメ本編は全体的にコミカルな芝居とか誇張されたデフォルメチックな表情が多く、それが軸になってるシーンもたくさんあったんですが、

「彼らはふざけているわけじゃなくて、真剣に生きた結果ああいう表情になるんです。コンテを描きながらノリでどんどん生まれていきました」

この発言は意外でしたね。作品の方向性すら左右するような極端さでしたから、当初の演出の方針として固まってるものだと思いました。

もしかしたらツルネ2期のように監督がほぼほぼコンテ切る、みたいな体制なのかもしれないですね。

アニメ1~3話に見る、原作との違い。

まずは思いつく限り、原作とのアニメ(1~3話)の違いを列挙してみたいと思います。

  原作 アニメ
時代設定 史実と同様の明治時代 蒸気の技術が発展した「明磁」時代
電気目録 終盤まで所在不明 序盤で11番までがすぐに見つかる
兄・清六と登場人物の関係性 終盤まで明かされない 序盤で規子や陸との繋がりが明かされる
万国博覧会 電気の力が示される場所 蒸気の力が示される場所
万国博覧会での清六 規子との逢引のために喜八と分かれる

 イルミネーションをつけるために喜八と分かれる

洋輔 百川家の関係者とは初対面

陸と清六とは高等小学校の同級生

洋輔の目的 出世欲のため百川酒造を手中に収めたい 電気目録を実現させるという清六との約束を叶えたい
喜八の人物像 活発 臆病な一面がある
稲子のドジ 叱責され、稲子が死を考えるほどネガティブに描かれる コメディタッチな表現
稲子の髪型 序盤でショートカットに変わる 3話までは言及なし
アニメオリジナルキャラ   すずとケイト、鱒淵、オコジョのイナリ

アニメは序盤しか見ていないので言い切れない部分もありますけど、印象は原作を読んだときとかなり違ったものに見えました。2、3話はほぼほぼアニメオリジナルのエピソードで、「原作」というより「原案」といった感じでした。

原作では稲子が望まない結婚に対して、シリアスに受け止め、父からの叱責によって本気で死を口したりするんですが、アニメではデフォルメチックな驚きをもって受けとめています。原作は「稲子の望まない結婚と、それを阻止するために洋輔が望む電気目録を探す」というのが物語の核となっていて、そこにはかなりシリアスで繊細な感情の機微があったんですが、洋輔が百川家でなく清六に固執している、とすることで、作品の雰囲気はガラリと変わっています。

また、原作では青春映画のようなロードムービーなんですけど、アニメでは稲子も友人も出てきて、彼らが今まで培ってきたコミュニティを舞台にしそうな印象を受けました。

清六が百川家まわりに関係がある、ということを(詳細は隠してますが)早々に明かしてしまったのも驚きましたね。原作では規子や陸への清六の影響力を終盤で明かすのに対して、アニメでは早々に清六が物語のカギを握っていると示唆していました。

正直、原作の湿度高めな稲子が気に入ってましたし*1、終盤に明かされる清六の存在、という構成も好きだったので、その点はちょっとショックでした。
ただ、原作のステレオタイプな悪役である洋輔がすごくもったいない気がしたので、行動に含みをもたせ、ケレン味があるアニメの洋輔像はとても良かったです。

 

原作もそうですし、今までに公開されたPVをみると硬派な作品になるのかな、と考えていたんですが、蓋を開けてみると太田さんの個性が光る冒険活劇になっていて、とても面白かったです。

本放送が楽しみになる先行上映でした。

*1:

https://www.kyotoanimation.co.jp/books/20thdenmoku/img/comment/commentIkeda.jpg

原作公式HPにある池田さんのイラストを見ていただければ分かるとおり、天真爛漫ながらこんな感じのアンニュイさと素朴さをまとった感じのキャラクター像でした。

絵コンテで見る『響け!ユーフォニアム3」12話 【久美子の「妹感」】

A,Bパート取り上げましたが、もう一点だけ…!

 

Aパート、両親に進路を伝えたあと、自室で姉・麻美子のメモ書きを見る久美子。そのコンテに「表情、妹感」という小川さんの端書が。

3期では「部長」、「最上級生」をずっしり背負ってきた久美子ですが、そうなんですよね、久美子は「妹」でもあるのです。
少し緩んで本音がこぼれた表情。そしてそれをなんとなく恥ずかしく感じるような口の閉じ方。瞳のハイライトだけが揺れていて、姉の優しさに対して隠しきれない笑み。
1期のころ、久美子が姉に対して「勝手に入ってくるな」なんて言ってましたけど、メモとして残した「姉の侵入跡」には嬉しさがこぼれてる感じがとても良いです。

 

このシーン付近はコンテから本編にかけてカットされてる部分が多いんですよね。
コンテだと進路を書いて、先生に見てもらって…というのをじっくりやってるんですけど、本編だと書きに行くところまで映して場面転換。個人的にはこっちのほうがテンポ感あって良いな、と思いました。

ちなみに久美子の「だから帰ってきすぎぃ」というセリフは、シナリオだと「…(ニコリと)…嘘つくなよ」*1。同じ照れ隠しの言葉ですけど、前者のほうが家族の一員としての姉・麻美子として際立つニュアンスになっていました。

「妹・久美子」のこれまでとこれから。

「妹・久美子」について、1期1話のスタッフコメンタリーで山田尚子さんが面白いことを言っていました。

山田 久美子は女の子です。妹なんです。結構空気読むというか、まわりを見る子なんですよね…っていう反面、自分の好き嫌いを公に言わなくなるというか。久美子の部屋だけでは自分の隙ができる。好きなことをさらけ出せるというような。お姉ちゃんはいっぱい叱られたりとかいっぱいあった分、天真爛漫な部分があるんですよね。私これ好きっていうような強さを持ってる。妹は怒られなかった分自分を出すことがあんまりうまくないのかなと。お互い良いこと悪いこと両方あるのかなと思うんですけど。久美子は妹で、道を切り開いてくれるのはお姉ちゃんなんですよね。

そう、確かに、今まではそうだったんです。でも今回は姉の介添えではなく、自分自身で自分をさらけ出した。さらけ出す場所が、ようやく久美子の部屋だけではなくなった。

しかし、それでも姉は姉として、これまでの20年近くそうしてきたように、妹の道を切り開こうとしてくれている。それが久美子の部屋に、こうしてメモとして残ってるんですよね。そしてそれを見た久美子からは「妹感」があふれる。一気に変わってしまったわけではなく、「妹感」も久美子の部屋には確かに残ってるわけです。

 

この3期12話でこの「妹感」を残しつづけている小川さんの感覚が素晴らしいとしか言いようがありませんでした。久美子が妹として生きてきて、そこから一皮向けて、今の久美子がいる。でも、生まれ変わったわけじゃない。このニュアンスがあまりにも絶妙でした。

山田さんはすでにユーフォに関わってないですけど、小川さんは「繋ぐ」を実行し続けている。小川さんが口先だけではないということが、こうしてコンテからもひしひしと伝わってきました。

*1:「『響け!ユーフォニアム』シリーズ 公式シナリオブック 下巻」307頁。

絵コンテで見る『響け!ユーフォニアム3」12話【Bパート】

前回記事に続いてBパートで気になったところをいくつか。

 


B冒頭、ソリスト決め前の真由と久美子のシーン。
「実力主義」に塞がれた真由の回想バンク中に新規カットが。
5話の「オーディションに参加しなければいけないのか」という真由の質問と、中途半端に挙がった手。5話ではその質問自体にクローズアップされていましたが、ここではむしろ「言い淀む」を体現する手をクローズアップしています。同じ場面でありながら拾う感情は異なっていて、その切り取り方のさりげなさが巧いです。

 

真由の真意に触れるあたりはコンテでコンポジットの指示が多くなっていきます。
久美子に核心を衝かれるところは、ト書きに感情が乗っていて面白いです。
「今までになく感情が露わになる真由」「それは触れてほしくないこと」「真剣に吹く真由 どこか楽しそうでもある」。ここでようやく真由の内面に触れるわけで、その感情を一緒に伴走しているようなト書きです。

ちなみに、201カット目と202カット目の間にあるト書き「外からの光 徐々に強くなって」「トランジション 光の印象とつないで」という光の演出は本編で使われていません。良いアイデアだなと思ったんですが、やらなかった理由…かもしれない発言が『ユーフォ3』3話のコメンタリーにありました。

小川 (前略)どうしても光加減ってインフレしていくじゃないですか。要するに、ここ光ったらもう少し光らせなきゃってなって、さらに光らせちゃって…ってなっていくと。ここで光っちゃうと後がないっていうタイミングとか。

石原 一番大事なところを光らせないといけない。

小川 そうなんですよ。これみよがしに光っちゃったりすると、興ざめと言うか、過剰演出になってしまう。

このカットもコンテどおりでいくと、光のトランジション演出を使ったあとに夕景の光を見せなければならないわけで、そうするとまさしく「ここ光ったらもう少し光らせなきゃ」という光の過剰演出の"るつぼ"になってしまうんですよね。真由の熱意を表現する回想カットですから、そこを、そこだけを光らせるために…という判断だったのかもしれません。

 

「胸の高鳴り」というト書きを表現する「ポン寄りとダブルアクションみたいなPANUP  みたいなテンポ感」。徐々に感情が昂ぶっていくような、そんなパンアップに感じました。
先程取り上げたシーンは「光の引き算」みたいな演出でしたが、このカットは逆に「光の足し算」。「いい顔」で締めるカット終わりを背面の光で彩るようなアイデアでした。

 


シーン終わりもパンアップで。「かっこいいL/O何卒!」から伝わる久美子と真由の、そして小川さんの高揚感。

 


「どちらかほんのり分かってしまった様な」というト書きが切ない。奏の動きとしては非常に微妙な動きですが、瞳の揺れがその心内を語っているようで、ニュアンスが絶妙です。

 


真由がスローモーションで一歩前に出るシーン。
久美子の瞳のアップショットは「ショックはもう過ぎていて 落ち込んでいるニュアンス」とあるんですが、次のピクチャ部分にある、久美子が目線を下げる芝居にバツされているように、本編は少し違う印象を受けました。落ち込みの描写を強調しない分、覚悟が決まった久美子を強調するイメージ。直前に映る麗奈の表情が極端な分、なおさらそう感じました。

 


この話数は「ここぞ」というところのパンアップが多いですが、私には久美子の背中を押す小川さんなりのエールのように感じました。苦しい場面を乗り越えて成長する久美子を押し上げるような、そんなパンアップ。
「私はそう言った」というト書きからは久美子の表情の強さが伝わってきますが、それとともに「あなたはそう言ったんだ」と檄を飛ばす小川さんの想いも伝わってきました。

 

本編と比較していただくとわかりやすいんですが、「どうしてそんな…」と声が詰まる奏のカットは、コンテだと奏の表情にカメラを寄せるんですが、本編では表情を映してないんですよね。この塩梅が本当に素晴らしいです。
奏のあふれ出る気持ちっていうのは、もうこの話数のこれまでで映されているわけで、久美子を責める感情が建前でしかないことはわかっているわけです。なので、表情という建前でなく、胸の内という本音にクローズアップする。これ以上ない演出だと思います。
「お人好しなんですか」が涙ぐんで言えなくなる、という芝居も素晴らしいです。この判断は鶴岡音響監督でしょうか。奏役の雨宮天さんの演技含め、もう、ただただ素晴らしいです。

365カット目、久美子の表情を映すカットの「どんなにキレイにまとめても こういう気持ちもあるのだ」というト書きもいいですね。「正しい」だけじゃない。それは久美子が一番よくわかっていて、2期10話、あすかに対して言った「先輩は正しいです。でもそんなのはどうでもいいんです。あすか先輩と本番に出たい。」という言葉のとおり、こういう気持ちもあることをわかっている。だから正しさも、そうでない感情も受け止められる。

ちなみに奏とのシーンは、シナリオでは以下のような内容でした。

奏「久美子先輩」
久美子「(振り返り)?」
奏「…悔しく、ないんですか?」
久美子、ニコリと
久美子「悔しいよ。…でも嬉しい」*1

全く違う濃度で驚きました。シナリオがコンテ時点で変わっていて、さらによく見るとコンテから本編にかけてもセリフが変わっています。この奏のシーンはいろんなセクションの情熱を感じます。

 


ラストの大吉山のシーン、「わからないわけでないでしょ 久美子の音を」と言われた後の久美子の表情。「ショックと麗奈への愛しさと誇らしさが同時にくる様な」というト書きが良いです。そしてこの難しい注文に応える、佐藤知美さん原画。

 


直前に1期の大吉山オマージュがあって、ここでは2期11話、小川さんが演出処理をした回*2からセルフオマージュ。
小川さんは足元の演出を語られがちですが、ユーフォシリーズではむしろ手の芝居の方が大事な場面で際立っている気がします。

 

以上。

振り返ってみると、この話数は、久美子の最後のセリフ「私、この気持ちも胸を張って誇りにしたい」に集約されるコンテワークだったと思います。

教師という進路を選んだ決断。まわりからの期待、そして敗北。
それは久美子の高校生活の岐路であり、「部長・黄前久美子」の岐路でもある。

胸元を映すカット、パンアップとアクションつなぎ、過去話数のオマージュ、特別な相手と手をつなぐ演出。そうした数々のアイデアを積み重ねることで、岐路を前にした敗北は、単なる敗北ではなくなっていくようでした。敗北の前にはこれまで積み重ねてきた様々な経験があり、敗北があり、それを受け止めた先の未来がある。そのことを表現する演出によって、久美子の「誇り」を色づかせていました。
久美子だけではなく、真由、奏、麗奈……彼女たちそれぞれの「いままで」を映しながら、「これから」へ進んでいく姿を照らしていくところも含め、見ごたえ、いや、読み応え抜群のコンテでした。

*1:「『響け!ユーフォニアム』シリーズ 公式シナリオブック 下巻」314頁。

*2:コンテは藤田さん。

絵コンテで見る『響け!ユーフォニアム3」12話【Aパート】

第7回京都アニメーションファン感謝イベントでは『響け!ユーフォニアム3」12話の絵コンテが展示されていました。コンテ担当は『最終楽章 響け!ユーフォニアム 前編』で監督を務めた小川太一さん。

撮影可だったので記録してきたのですが、小川さんが「12話はユーフォ3の中で一番大切な話*1」と語っていたように、端書やキャプション…もろもろに面白い要素があったのでいくつかピックアップしてみたいと思います。

今回はAパートから。

 

まずアバンラスト。
本編では久美子に被せるようなタイトルロゴはなく、この演出はカットされてます。
最初コンテ見たときにはハッとするようなインパクトで、かっこいいじゃん…*2ってなりました。京アニだと本編にタイトルロゴ被せる演出は見たことないかもです。

 

53カットからのアクションつなぎ。
こういうカット終わりにセリフを最小限にした、小さく表情を変える芝居に小川さん味を感じます。小さな表情の移り変わりをさりげなく切り取ることで、心の隙間に隠れた深層に触れているような演出。横顔は京アニイベントで「小川さんのフェチ」と言っていた要素でもあります。

 

オーディションあとの職員室のシーン。本編では久美子の「先生、あの…」というセリフでシーンが終わるんですが、コンテでは「理想の人ってどういう人ですか?」までセリフをいれています*3。いずれにしても、コンテにあるとおり「答えはあとで」。ただ、本編では「答え」だけでなく「問い」さえも物語のフックになっているのが印象的です。

 

本編ではカットされた、オーディション結果発表の後、帰りの電車内のシーン。ここでは靴に入った小石を取り除く久美子の芝居があるんですが、これは久美子の進路の部分にかかってるんですよね。
先ほどの滝先生とのやりとりの中で進路を固めたであろう久美子の「胸のつかえが下りた」表現。ちなみにこの小石を取るという芝居はシナリオから書かれているので、花田さんの案だと思います*4

 

ここからがまた面白いところで、コンテでは久美子が自宅に帰った後、両親へ進路のことを伝える場面が描かれています。そこでは進路を伝える直前のカットで足元を映すんですが、こちらはシナリオには描かれていない足元の演出。小川さんお得意の足元カットでもあり、「石が取り除かれ、まっすぐ立つことができるようになった久美子」としても映りました。花田さんと小川さんのタッグ演出技、といった感じですね。
本編では小石を取るシーンと同様にカットされてます。演出上の繋がりも意識して、なのかもしれません。こうしたモチーフの重ね方、映し方がめちゃくちゃ上手だな、と関心した次第です。

 

前後しますが、こちらも帰りの電車内のシーン。バツがされてるとおり、電車内のシーンは総じてカットされてます。
さっきのアクションつなぎと同じ話になってしまいますが、こういう久美子の表情の映し方がめちゃくちゃ巧いですよね。あっさりした表情に見えて、単に悔しさだけじゃない、いろんな感情がギチギチに詰まってるような表情。そのニュアンス。

 

電車から降りた京阪宇治駅、久美子に喝を入れる麗奈のカット。キャプションに「1期9話のニュアンス*5」とあるのが面白いですね。
この「頬を挟む芝居」は2期3話*6にもあったりして、二人の定番のハンドサインをここで盛込んでいるのが良いな、となります。この時にはまだ、二人の仲にわだかまりがあったはずなので、それを解消するいつものハンドサイン、というような。

 

自宅についた、玄関前の久美子。
「今度は自分で」。自分の進路は自分で背中を押す。シナリオにはない芝居です。頑張れ久美子。

 

Aパート終盤、ソリスト決め直前の奏とのシーン。
「ちゃんと聞いてほしい。それで、良いと思った方にいれてほしい」と伝える久美子の真意を受取る奏。返事をするまでの微妙な表情が素晴らしかったです。コンテだとそこまで指示書きはなく、微妙なニュアンスの表情は原画マンと演出の山村さんの仕事。ここもコンテと演出、原画の合わせ技ですね。
オーディション後に奏が言う「どうしていつもいつも貧乏くじを引きたがるんですか」という言葉がここでこぼれ出そうになってしまったような、そんな表情にも見えました。画面が引いたあとにようやく返した短い返事には、その言葉をそっと飲み込んだ気配が残っていて、カット割りによって生まれたわずかな間の作り方が物凄く繊細でした。言葉にできなかった想いが胸の奥へと沈んでいく時間であり、それでも受け入れようとする気持ちのあいだの、その一瞬。
この話数で奏は見守る側に立たされますが、その立場だからこその揺らぎの描写が、本当に素晴らしかったです。

 

以上Aパート。

コンテを見ていると過去のエピソードを踏まえたニュアンスや芝居の多さが印象に残ったんですが、それと同時に小川さんが語っていた言葉が頭に浮かびました。

-『ユーフォ3』の制作にあたり、演出スタッフの皆さんで話し合ったことや、監督からお話はありましたか?

(中略)

小川 言ったとすれば…前の作品はしっかり観ようねってことくらいで、そこから受け取れる、あるべき姿をみんながそれぞれ明示してくれたのかなと思っています。*7

彼女たちの「あるべき姿」を、シチュエーションによってテンプレートを貼り付けるのではなく、歩んできた過去から明示する。小川さんの目指すべき『ユーフォ3』が、まさしく体現されたコンテだと思いました。

*1:「響け!ユーフォニアム3 メモリアルファンブック」94頁。

*2:


*3:「『響け!ユーフォニアム』シリーズ 公式シナリオブック 下巻」304頁、同じシーンではそこで「答え」を明かすような内容になっています。

*4:同上、305頁。

*5:

左が1期9話、右が3期12話。久美子がやり返すところ含めて同じなので、ニュアンスの域を超えたシンクロ。こうやって並べるとちょっとウルっときちゃいますね。オーディションによる人間関係のこじれを恐れていた久美子が、実力勝負の場に真っ向から対峙するようになった。黄前久美子、ここまできたな…みたいな。
ちなみにシナリオブックを見ると、二人が拳を付け合わせる芝居になっています。なにげない瞬間にも「これまで」が宿っていて、見事な演出です。

*6:

新山先生登場で落ち込む麗奈に対する久美子の芝居。

*7:「響け!ユーフォニアム3 メモリアルファンブック」92頁。

『最終楽章 響け!ユーフォニアム 前編』、「間」と「呼吸」。

『最終楽章 響け!ユーフォニアム 前編』を見てきました。

総集編という位置づけでありながら、新規カットを巧く織り込んで「3年生・黄前久美子」の物語をさらに補強する作品になっていて、とても素晴らしかったです。単に既存のカットを取捨選択するのではなく、久美子の「これまで」をより際立たせるような構成が見事でした。実際、冒頭では2期13話終盤のシーンがそのまま用いられていました。

ユーフォニアムに対する情熱、そして最上級生としての姿。その両面において久美子の理想であるあすかとのエピソードから始まることで、「これまで」が彼女にとって決定的な意味を持っていることが刻まれていました。

そのうえで、新作カットが映し出すのは、数々の経験を重ねてきた久美子と、彼女を中心に築かれてきた北宇治高校吹奏楽部の「いま」です。

そして、その時間の積み重ねと、彼らの思考をかたちにしているのが、「間」と「呼吸」の演出でした。

新規カットにある「間」。

まず印象に残ったのは、先に挙げた2期13話の回想あと、久美子が「響け!ユーフォニアム」を吹くシーン。

唇を滲ませる動き。吸い込む呼吸音。どれも演奏には当然の所作です。
しかし、その一つ一つを丁寧にすくい上げる「間」とカットワークが、直前のあすかとの記憶を噛みしめる久美子の思考を、静かに浮かび上がらせていました。

「あのとき」から繋がっている、ということを印象付ける校内の点描も素晴らしかったです。現部員を映す点描の合間に、あすかとの想い出が残る無人の校舎裏を映す。久美子の寂しさを静かに切り取った、映像としての「間」。無人であることが心に空いた小さな穴のようでもあって、久美子の心象風景ともリンクしていました。このさりげない景色の点描が、優しくもあり、切なくもありました。

 

「全国大会金賞」を目標とするシーンでも、目標が決まったあとのカットは新規カットでした。ここではダイアログの合間に挿入される久美子のアップショットという「間」が見事でした。
「全員、一人も欠けることなく一致してほしい」と願った目標決めがそのとおりとなった安堵感と、今まで叶わなかった目標への想い。久美子の中で溢れる様々な感情を言葉で語らず、「間」で見せる演出でした。テレビシリーズのときには「部長としての未熟さ」みたいなものが印象に残るシーンでしたが、そこを久美子の思考へクローズアップさせることで、「これまでを経験した久美子」を映し出していたように感じます。

新規カットにある「呼吸」。

「呼吸」は、北宇治高校吹奏楽部に流れる、言葉以前の熱量そのものでした。それが最も端的に表れていたのが、サンフェス後の部員たちの呼吸であり、関西大会で課題曲を終え、自由曲へと向かう直前の呼吸でした。

いずれも「達成感」や「一体感」とも言える演出ですが、本作においてはそれだけでは言い切れないと思うんです。彼らは一度、「全国金」という目標が揺らぎ、「オーディション」という目の前の不安の中で逡巡していました。その迷いは、目標に本気で向き合ってきたからこそ生まれたものです。

それでも久美子は言っていたわけです。「目指しているところは同じだから」と。「不満も戸惑いも全部吹き飛ばす最高の演奏して全国に行きたい」と。「こんなに真剣に向き合っているのに響かないはずない」と。ここでの呼吸はこうした同じ目標へ向かう「いまの北宇治」の結束力と想いの強さが具現化したものだったと思います。

同じ方向を見て、同じような高揚感を抱きながら呼吸をしている。言葉でなく、乱れた呼吸だけでそれを表現する演出力に、心が震えました。

思考を可視化する「間」と「呼吸」。

本作の「間」と「呼吸」は、単なる実在感のための演出ではありません。
「間」は久美子の記憶の蓄積のようでした。

あのとき、同じような状況で。あの人たちは何を話し、何を考えたのか。

そうした記憶の蓄積が、現在の久美子の沈黙やその後に発する言葉の選び方に影響しているように見えるのです。

一般に、アニメにおける「実在感」は、細やかな所作や、背景や撮影とキャラクターの調和といった視覚的なリアリティによって語られることが多いと思います。しかし本作の場合、それに加えて「考えている過程」による実在感がありました。「間」は単なる演出上の余白ではなく、彼女が思考し、逡巡し、結論へと至る時間として存在しています。そして「呼吸」は彼らが多くの時間を費やしてきた「全国金」という目標への想いを表現していました。

だからこそ、発する言葉や呼吸は「用意されたもの」ではなく、「時間をかけて積み上げてきた想い」として響くんだと思います。

自分の経験を踏まえて考え、選び取り、言葉や行動にする。「間」と「呼吸」は、その思考を可視化していました。そしてそれこそが、舞台挨拶で小川さんが語った「繋ぐ」というテーマを、最も純粋なかたちで体現した表現だったのだと思います。

『最終楽章 響け!ユーフォニアム 前編』舞台挨拶(2026.4.24 丸の内ピカデリー 16:15上映回)に行ってきました。

『最終楽章 響け!ユーフォニアム 前編』公開に合わせた舞台挨拶があったので行ってきました。

登壇者は原作の武田 綾乃さん、石原総監督、小川監督。司会進行の方は松竹のプロデューサーっぽい気がしました。
聞き取りメモなのでニュアンスの違いがあるかと思います。

Q.作品が完結した今の気持ちは?

小川 今回、作品の構成にとても苦労した。公開されてホッとしてる。

石原 現在後編制作の真っ最中であんまり完結したって気がしてない。

小川 本音をいえば後編公開時に舞台挨拶に立ちたかった。さっき、控室でも作業してた。

石原 私も、今朝もカットチェックしてた。

Q.完成映像を見てどうだったか。

武田 3期のときは階段のように話が進む。映画は一本で起承転結があって違う印象。

小川 3期の本編には必要のないものはない。本作では「筋を通すならこのルート」と思って作っていった。脚本の花田さんとも相談した。
   試写会挨拶でもキャストの方が話していたが、キャストのテーマは「フレッシュさ」らしい。ほんとにその通りで、3期のときに「本当はこうしたかったのではないか」というような、いわば進化みたいなものがあった。

Q.小川監督のテーマは。

小川 作る意義をずっと探している時期があった。今回、一言で言えば「繋ぐ」。作打ちでも「繋ぐ」をすごい言った。恥ずかしくなるフレーズだけど、もっと高い次元で向き合っていこう、と挑んだ。

Q.石原総監督と小川監督。二人の印象的なやりとりはあったか。

石原 小川監督はコンテにすごく悩んでた。たしか最初はもっと尺が長かったと思う。

小川 どうしたって入らないですよね。

石原 みなさんも見てもらってわかるとおもうんですけど、すごく構成を考えたんですよね。総監督としては小川監督の相談に乗っただけ。全体的に小川タッチになってると思う。

小川 石原さんに相談したりチェックしてもらって、石原さんがニコッとなったらヨシ。

司会 本作は全体約2,000カットありますが550カットは新規カット、ブラッシュアップされた既存カットが660カット。全体の約3分の2は新たに手を加えていました。

Q.サンフェスの選曲はどういった経緯か。

小川 最初は吹奏楽部定番の楽曲にしようと思ってたけど、鶴岡音響監督から提案いただいて、これにしようとなった。

石原 「大江戸捜査網」はサントラ持ってるくらい好きだったからびっくりした。世代としては自分と同じ世代だと思う。
   サンフェスのコンテ演出は石原が担当。昨年4月29日に作中の舞台でもある太陽が丘公園で、サンフェスと同じようなマーチングイベントがあった。取材にも行って、おかしな話だけど「ユーフォみたい」って思ったりした。テレビシリーズのときには運動場からスタートしたけど、実際のイベントではプール前からスタートしていて、本作でもそれに合わせてる。

小川 石原さんはすぐに取材に行きたがりますよね。だからか、光源の位置とかもすごいこだわってる。

Q.関西大会のこだわりは。

小川 ほんとに大変だった。

石原 関西大会の演奏シーンは私が演出。サンフェスもそうだけど、自分が演出やるところは演奏ばっかりで大変だった。

小川 コンテは自分。楽器ってすごく描くのが大変なんですよ。今までのノウハウでCGを使ったりとか色々できるけど、本作は逃げずにやった部分が多い。

石原 作画チェックが大変だった。参考動画を見て、1番ピストンを押してる事を確認して、作画も同じタイミングで一番ピストンを押してる…OK!っていうのを繰り返してた。

Q.後編のキービジュアルについて

石原 サスペンスっぽい構図。

武田 最終決戦っていう感じ。

司会 いろんな人からいろんなアイデアを出し合ってましたね。

小川 作画した池田和美さんが「ムズい」って話してた。仮色もこだわってやってくれてた。あとは、本来この位置なら逆光になるけど、あえてしていなかったり、久美子を意図的に背景に乗せてない。「久美子」「真由」「場所」。それぞれが目立つような構図。

 

以上。

4月15日の試写会挨拶もyoutubeで公開されてます。

www.youtube.com

6月30日まで公開されるみたいです。

今見ると小川さんがかなりガチガチ。

『響け!ユーフォニアム』、原作にはない言葉たち。

3期総集編公開に向けて全編を見直し中です。

あらためて見返すと1期は「生っぽい」セリフが印象的でした。
2,3期や劇場版が淡白というわけではなく、少し恥ずかしくなるような「思わず言葉にしてしまう」言葉が多い。インタビュー記事で「最初はドキュメンタリーを意識した」という話を石原さんや山田さんがしているので、その名残なのかもしれません。

そして興味深いのは、その言葉は原作ではなく、花田十輝さんのシナリオやコンテから生まれている点です。

例えば11話、再オーディション前の久美子と麗奈のシーン。

久美子「もし、裏切ったら殺してもいい」

「殺す」という強い言葉は、原作ではなくシナリオで生まれています。唐突に出てきた生死にかかわる言葉ですが、思春期特有の危うさとでも言うべきでしょうか。「勇み足」の青さを的確に捉えています。

「アニメスタイル 007号」のインタビューで、花田十輝さんはこう語っています。

花田 シナリオ打ちの事を、覚えてるなあ。「気持ちが昂ぶった高校生は、あのくらい青臭い事を言うじゃないですか。簡単に「殺す」とかいう単語使っちゃうほうが、青さとか高校生らしさが出るんじゃないですかね」と言ったんです。石原さんは「うーん」と言ってたんだけど、山田さんは「全然オッケー」みたいな感じだった記憶があります。*1

「気持ちが昂ぶった高校生は、あのくらい青臭い事を言うじゃないですか。」という一言に、このセリフの本質が詰まっている気がします。

個人的に好きなのは10話。

晴香「…こりゃ一人でやるしかねーぞ、晴香」

麗奈がソロに選ばれ、部が崩れかける中での独り言。シーンも含め、原作にはありません。
晴香のCV:早見沙織がまた巧いんですよね。一人になってポロっとこぼれた独り言のようであり、自分を鼓舞するためにあえて言葉にしたような声でもある。晴香の「人となり」が短いセリフからあふれていて、本当に素晴らしいです。

12話の「うまくなりたい」。

その中でも12話は群を抜いてすごい。

昨年3月に「『響け!ユーフォニアム』シリーズ 公式シナリオブック」というシナリオ本が発売されたんですが、これを読むと、完成した本編は全体的にシナリオからセリフを削っているんですよね。尺の都合もありますから当然だとは思うんですが、その一方で12話は削った上にブラッシュアップをしていたり、むしろコンテ以降の制作過程で足したりしているんです。

例えば「うまくなりたい」のシーン。

シナリオでは以下のようになっています。

久美子「(涙をこらえ)くっ…くっ…あーーーーっ!あーーーーーーーっ!」

川縁の道を全力で。

もの凄い勢いで。

久美子「…うまくなりたい…うまくなりたい…うまくなりたい…。自分の頭にある音を、自分が思っている音を出したい。誰にも負けたくない…誰にも…」*2

本編では以下のとおり。

うまくなりたい…うまくなりたい…うまくなりたい…(宇治橋に曲がって)うまくなりたい…うまくなりたい…うまくなりたい、うまくなりたい、うまくなりたい、うまくなりたい、うまくなりたい…うまくなりたい、誰にも負けたくない…誰にも…誰にもっ!

シナリオでは久美子がこらえ切れずに叫んでいますが、本編では秀一に声を掛けられるまでモノローグで、頭のなかで「うまくなりたい」を叫び続けている構成に。*3

私はこれがほんとに素晴らしい演出だなと思うのです。
外に感情を爆発させる、という行為はすでに走り出す、という動きで表現しているわけで、そこに言葉は必要ない。むしろ動的な外側以上に、久美子の心の中でこそ激しい変革が起こっている。

これまで一歩引いていた久美子が、初めて「当事者」として挫折を味わう。その衝撃を、身体の内側から噛みしめているような感覚が、このモノローグにはあります。そしてそのモノローグをより強烈なものとするために、久美子の叫びをカットしたのだと感じました。

シナリオにあった「頭に浮かんだ音を正確に出したい」という言葉を削っているのも見事だなと思います。
手段ではなく、感情にフォーカスする。そして久美子の奥にあった本音がむき出しになる。この「引き算」が本当に見事です。

それぞれのセリフがどこで変わったのかは明確ではないですが、「叫ぶ」という要素をアフレコ段階で変えるのは作画も大きく変わるので、コンテ段階で変えたのかな、と私は推測します。そうだとしたら12話演出の三好さん、さすがです。

走り出してからのコンテの一部は先述のアニメスタイルに掲載されています。コンテのト書きのセリフは上述のシナリオ同様、「頭に浮かんだ音を正確に出したい」なんですよね。12話のスタッフコメンタリーでは何回もこのシーンのアフレコをやり直した、と語られているので、こちらはアフレコ段階での変更なのかもしれません。
そしてその後に続く「誰にも負けたくない…誰にも…誰にもっ!」のセリフ。「誰にも」を二回言うアイデアはシナリオになく、コンテで書かれています*4。そしてそのコンテのト書きには

大事なことなので二回言う。あすかにも 麗奈にも 自分にも*5

とあるので、三好さんのアイデアなのかもしれませんね。

どちらも単に削るだけでなく、ときにコンテで加える。より久美子の心情に寄り添うような変更だと思います。各セクションのブラッシュアップの賜物のようなシーンです。

12話、滝先生の一言。

そしてなにより今回見直していて一番グッときたのは、12話の終盤のシーン。
学校の玄関で久美子を見送る滝先生が、最後に伝える一言。

あなたの「できます」という言葉を、わたしは忘れていませんよ。

なんというか、この言葉ってものすごく不器用で、それでいて実直な言葉だと思うんです。
励ますことが得意な先生であればもっとストレートに伝えるだろうし、慰めの一言をかけることもできると思うんです。滝先生は能力を伸ばす才能はあれど、生徒とのコミュニケーションはまだ新米なところがあって、この言い方しかできなかった、というようなニュアンスを感じました。きっとどこかで久美子に伝えたかったんだろうけど、二人きりにならなければ伝えられなかった一言、というような。

語ることはできずとも、久美子の本気の感情に一筋の光を与えるセリフとして、このセリフは本当に絶妙で、本当に素晴らしいです。

ここで原作を手に取ってみると、久美子がスマホを取りに戻る場面はあれど、この言葉は影も形もありませんでした。さらに上述のシナリオブックを読んでみると、こちらもこの言葉はなく、原作を踏襲しています。

では、いったいどこでこの言葉が生まれたのか。

花田 (前略)最後の「あなたの「できます」という言葉を忘れていませんよ」というセリフは、演出の三好(一郎)さんが書いているんですよね。シナリオだと、原作と同じ「私、本気で思っていますよ。このメンバーなら、全国に行けるって」だったんです。セリフをひとつ変えた事によって、あの話数の印象は格段に違うものになったと思うんですよ。*6

いや、もう、この花田さんのネタバラシを読んで、鳥肌が立ってしまいました。

この言葉には三好さんがそのまま乗り移っていたんだな、と。

京都アニメーションの先生と言っても過言ではない…というか実際にそうだったんですが、京アニクリエイターが話す「先生・三好一郎」は、背中と絵で語っていることが多いんですよね。実直でありながら少し不器用な三好さんが紡ぎだしたこの言葉には、なんだか三好さんの魂さえも含んでいるようで、強烈な説得力のある言葉として、心の芯に突き刺さりました。

 

『響け!ユーフォニアム3』では大きな原作改変が注目されましたが、このシリーズの面白さは、そうしたマクロな改変だけではないと思っています。

むしろ、こうした「原作にはない言葉」という、ミクロな改変にこそ注目したい。
そこにはクリエイターの熱が、確かに残っているはずなので。

*1:「アニメスタイル 007」48頁。

*2:「『響け!ユーフォニアム』シリーズ 公式シナリオブック 上巻」223頁。

*3:ちなみに総集編の『劇場版 響け! ユーフォニアム ~北宇治高校吹奏楽部へようこそ~』はアフレコが取り直されていて、久美子の走る呼吸が追加されています。でも乱れた呼吸だけで、叫ぶことはしてないんですよね。ここの呼吸はキャストコメンタリーを聞くと鶴岡音響監督のアイデア。黒沢ともよさんが語る「走りと呼吸をあえてずらす芝居」にも注目したい。

*4:こちらも『劇場版 響け! ユーフォニアム ~北宇治高校吹奏楽部へようこそ~』ではアフレコ取り直しになってるんですが、「誰にも」が一回だけなんですよね。こっちの変更はなんでだろうなってちょっと思っちゃいますね。

*5:「アニメスタイル 007」36頁。

*6:「アニメスタイル 007」54頁。
花田さんはこのエピソードをオフィシャルファンブックでも「印象的だったこと」として話していました。