『二十世紀電氣目録 - ユーレカ・エヴリカ-』の放送が始まりました。
1・2話を観て強烈に印象に残るのは、画面を満たす「煙霧の暗さ」です。
アニメオリジナルのスチームパンク要素によって、この世界には煙霧が当たり前のように漂い、発達した蒸気技術の代償として空は茶色に濁っています。画面のどこにカメラを向けても、濁った煙霧が絡みついてくるような世界観。これが強烈でした。
この世界における対比構造は「影と光」…というよりも、「煙霧と光」と呼んだ方がしっくりくるように思います。
光を閉ざし、視界を奪う「煙霧」があり、その煙霧の向こうで暗闇を恐れる喜八が電気の光を追い求めている。光を閉じ込め、世界を狭くしていく煙霧と、その中から世界を照らし出そうとする電気。
この構造があるからこそ、対比表現は単なる演出上の装置ではなく、「明磁」という時代そのものを彩る要素として存在していました。
今回は、1・2話で印象に残った「煙霧」と「光」の表現を振り返ってみたいと思います。
世界を覆う煙霧

1話のファーストカット。この作品は光を遮り、視界を奪う蒸気の煙から始まります。
異様なまでに発達した蒸気の世界。その象徴として存在する煙ですが、これから始まる喜八の物語にとっての「敵役」のようにも見えました。
発達した蒸気技術によって空が暗くなった結果、人々が様々な色の布を広げたという設定も、「蒸気による暗闇」を強く意識させるものでした。町中に張り巡らされた蒸気管もそうですが、この世界では空だけが暗いわけではなく、町の中にも、建物の中にも、生活のすぐそばにも蒸気が存在しています。
世界にカメラを向けるたび、蒸気という存在が絡みついてくる…その画面の作り方が面白いです。

「絡みつく煙霧」といえば、洋輔が漂わせるお香の煙も印象的でした。
蒸気によって世界全体を覆う煙と、洋輔の周囲に漂って稲子や喜八を包み込む煙。一見すると異なる二つの煙ですが、いずれも人を包み込み、光を閉ざし、世界を狭くしていくものとして描かれています。
様々な意味合いを込めているからこそ、煙霧は単なる背景ではなく、この世界を覆い、そして喜八たちを閉じ込めているものと言えます。
「煙霧」ではない暗闇
本作には煙霧以外の暗闇も登場します。

1話で稲子が死後の世界と錯覚した暗闇では、アウトラインを白にすることで、現世とは反転したような画面が作られていました。
アニメでよく見る薄暗い暗闇とは一味違う工夫を見ると、本作にとって「闇」がいかに重要なものであるのかが伝わってきました。そしてこの表現によって、「暗闇」というものが喜八だけの問題だけではなく、稲子にも関連するモチーフであることが位置づけられていました。
稲子が死へと落ちていくイメージ。暗闇に関連して、やはり煙霧が登場します。
煙霧によって視界を奪われ、どこへ向かっているのかも分からなくなる。煙霧という存在が、単に「蒸気の世界」を表現するためだけではなく、登場人物たちの置かれたネガティブな状況を示すものとして使われています。
ただし、煙霧と一口に言っても、その表現は一様ではありません。画面全体を覆う煙、人物の周囲に漂う煙、奥行きを作る煙、そして、死へと落ちていく稲子を包む煙…煙霧の形や濃さ、漂い方が場面ごとに異なります。
その時々によって姿形を変貌させる煙霧の表現は、一様には捉えられない「不安」や「恐怖」の象徴としても用いられ、世界や登場人物を非常に饒舌に語っているように見えました。
煙霧の向こうにある光
暗がりを照らすものとして、本作では光の演出も強烈です。
1話アバン、真っ暗闇の中で、電気の灯りが光を放つ。
その光が持つエネルギーと喜八が受けた衝撃が、画面全体を覆いつくしていきます。周囲の人物の写実的な描写も含め、情報量が一気に加速していくような演出でした。
画面の中に存在するものが、一瞬にして増殖していく。「光を見た」という出来事を、台詞や表情ではなく、画面そのものの密度によって表現する。
こういうアイデアは、画面の密度で勝負する太田さんらしい演出だと感じました。
そして、ここで喜八が見た電気の光は、単に暗闇を照らす明かりではありません。それまでの世界の見え方を変えてしまうものです。暗闇の中にあったものを照らし出し、見えなかったものを見えるようにする。暗闇に対する恐怖を凌駕する明るさ。電気に惹かれる理由が、光そのものの中にある。そんな印象を受けました。
一方、死後の世界と錯覚した稲子が見つめる極楽の光も印象的でした。ここでは、稲子のまっすぐな瞳に映る光が強く印象に残ります。
煙霧によって濁った世界。その中にある稲子の透き通った感情、そして、その瞳に映る光。
煙霧と光の対比は、単純な画面上の明暗だけではなく、登場人物の内面にも接続しているのだと改めて感じました。

2話では、煙霧に包まれた世界の上へと喜八たちが舞い上がります。ここでは稲子の「信じる」という長所が、煙霧に覆われた世界の上へと押し上げていくような展開が印象的でした。
世界がどれだけ煙霧に覆われていても、稲子はその向こうにあるものを信じる。この場面では、光が単に「希望」を表しているというより、稲子の持つ性質そのものに光が当てられているように感じました。
煙霧に覆われた世界で
『二十世紀電氣目録』の世界には、暗闇を生み出す「煙霧」があります。それは蒸気技術の発達によって空を覆い、町を包み、人々の視界を奪うものです。
洋輔の周囲に漂うお香の煙もまた、稲子や喜八を包み込み、稲子が死へと落ちていく場面にも煙霧が現れます。
煙は、世界を覆い、視界を奪い、人を閉じ込める。だからこそ、その中で電気の光を追い求める喜八の存在が強く印象に残ります。
ただし、本作における光は、単に「暗闇を照らすもの」として描かれているわけではありません。喜八にとっての電気は、世界を変えてしまうほどの衝撃です。稲子にとっての光は、自分が信じるものを照らし出すものです。
『二十世紀電氣目録』における煙霧と光は、単なる画面上の明暗だけではありません。煙霧に閉ざされた世界の中で、まだ見えないものを見ようとする情熱そのものが、光として描かれています。
1・2話では、その光がまだ世界全体を照らすことはなく、むしろ、煙霧に覆われた世界の中で、ほんの一瞬だけ強烈に輝いていました。
その光が世界をどう変えるのか。そして喜八や稲子をはじめとする「電氣目録」を取り巻く人物たちにどのような光を見せるのか。
今後の展開や表現が楽しみになる煙霧と光の演出でした。
専務室へ向かうエレベーターのアイデアが個人的に好きです。何気ない場面転換にエネルギーを使うこの感じが、まさしく「好き勝手」やってる感じ。どこかエネルギッシュにも見えました。
映像演出という意味では専務室の光の入れ方が面白かったですね。ブラインドの直線的な入射光で作る不穏な雰囲気。短いシーンでも印象的にするアイデアでした。








Aパート、両親に進路を伝えたあと、自室で姉・麻美子のメモ書きを見る久美子。そのコンテに「表情、


このシーン付近はコンテから本編にかけてカットされてる部分が多いんですよね。

真由の真意に触れるあたりはコンテでコンポジットの指示が多くなっていきます。
「胸の高鳴り」というト書きを表現する「ポン寄りとダブルアクションみたいなPANUP みたいなテンポ感」。徐々に感情が昂ぶっていくような、そんなパンアップに感じました。






本編と比較していただくとわかりやすいんですが、「どうしてそんな…」と声が詰まる奏のカットは、コンテだと奏の表情にカメラを寄せるんですが、本編では表情を映してないんですよね。この塩梅が本当に素晴らしいです。












自宅についた、玄関前の久美子。





