京アニの演出に興味を持ち、何作品か見ていたころ、ふと思ったんです。「北之原孝将さんって監督がやったあとの序盤話数で演出やってること多くないか」と。
監督は言うまでもなく作品のリーダーであり、実際京アニ作品において、ほぼすべての作品で監督が1話の演出を担当しています。野球で例えるならば、一番バッターなわけです。
ではそのあとを担う北之原さん。これは二番バッターと言えるでしょう。そして二番バッターの役割とは、野球界のレジェンド、故・野村克也氏が言うには「つなぎ役*1」なのです。
最近の二番バッターの役割については、指標を用いた打線構築の話もあって、一概には言えなくなってきています。しかし、「打線の潤滑油」、「強打者がならぶ3番以降へのチャンスメイク」の印象がいまだに優勢なのは「二番バッター」でGoogle検索をすれば一目瞭然です。
急に野球の話をしてしまいましたが、こうした野球における打順の役割と、テレビシリーズのアニメ作品における演出家の担当話数というのは、共通点があるのではないかと思っています。先頭でどういう作品なのかを語り、その次に物語や映像のカロリーの起伏における「伏」を担当するエピソードがあり、インパクトの強い中盤話数がある。それぞれの打者の持ち味を生かしながら打順を組み立てるように、アニメの演出家の担当話数も、それぞれの個性を生かしつつ、作品全体の流れを形作っているのではないでしょうか。
京アニにおいては特にその可能性が高いです。初元請け作品『フルメタルパニック?ふもっふ』を除き、テレビシリーズの全話数において社内スタッフが演出を担当しています。スタッフの陣容が固まっていて、なおかつ個性や能力が把握できている。適材適所の役割を与えるにふさわしい状況です。それであれば、意図的に北之原さんをつなぎ役として活かしている可能性も大いにあります。
今回はそんな私の「京アニの2番バッター・北之原孝将」説を実際のデータで確かめつつ、担当話数でみる北之原さんの役割に注目してみたいと思います。
担当話数から見える偏り
まずは京アニ元請け作品のテレビシリーズ作品において、各演出家が何回参加しているかを見てみましょう。

・『二十世紀電氣目録』までの京アニ元請け作品で集計する。
・コンテ、演出、演出補佐でクレジットされたものを集計する。
・参加した話数においてコンテと演出両方でクレジットされていても1回と数える。
・劇場作品やOVAは含めない。番外編は最終話に続き放送された場合は含める。
・『涼宮ハルヒの憂鬱』2期においては新規話数のみ算定対象に含める。
・短編作品である『涼宮ハルヒちゃんの憂鬱』、『にょろ~ん ちゅるやさん』は含めない。
クレジット回数は北之原さんが文句なしの1位。在籍期間が長いことも一因ですが、圧倒的貢献度です。
ただ、先ほど挙げた表は演出のみ参加の話数や、演出補佐としての参加も含んでいます。京アニの演出スタッフの体制で特徴的なものとして「単独コンテ・演出が多い」ということが挙げられます。この点の利点について、山田尚子さんと石立太一さんがスタッフコメンタリーで言及しています。
山田 だいたい演出の人間は決まっていて、各演出のコンテの癖とかわかるじゃないですか。最近ちょっと増えてきたのがコンテと演出が違ってるパターンが増えてきてる。ほんとは一緒が良いなと思うんですよ。一緒だったらコンテに線一本でも作打ちの時に隅々まで言える。その段階が踏めなくなってきてる。(中略)どう思います?(コンテと演出が別の人でも)どっちもどっちで良いとは思うんですけど。*2
石立 コンテと演出は一元的になっていた方が良いとは思う。コンテ描いたひとの頭の中のイメージを原画さんと一緒に演出としてやっていくという風にしないと、そこが目標じゃなかったという目標になってる気がする。思惑が二つ産まれてしまう。*3
このやりとりを踏まえると、「この人の演出回」と言い切るには、やはり1話を単独で担当している方が望ましいと言えるでしょう。
ということで、先ほどの表から「単独コンテ・演出回」を担当した話数のみ抽出しました。

これを見てみても、やはりトップの回数は北之原さん。演出で関わった話数の約7割は単独演出回。この割合は20回以上単独演出回がある演出家の中で、坂本一也さんに次いで2番目。ただ、坂本さんの倍はクレジットされていると思うと唯一無二ですね。
一人で任されることが多いということが、北之原さんが信頼を寄せられている証左です。
では、担当回数の多さだけでなく、どの話数を多く担当しているのかという点に注目すると、どうでしょうか。表1を話数ごとの担当回数で整理してみます。

・おおよそ2クール目である14話以降は省略。
こちらは大きな偏りが少ないです。監督が序盤の話数をやっている、というのはありますが、それくらいです。
ただし、一人だけ話数の偏りが顕著な方がいます。
北之原さんです。
3話担当・北之原さんの役割。
北之原さんの担当話数で、特徴的な点の一つは「3話」です。1話や2話を石原さんや武本さんといった監督経験者が上位を占める一方、3話は北之原さんの担当回数が10回と目立ちます。これは北之原さんの中でも7話の11回に次ぐ二番目に多い担当話数であり、二桁回数は3話と7話のみです。
1,2話で監督が演出を担当したあとに北之原さんが3話を担当したのは、10回中4回*4。冒頭に書いた「監督のあとに北之原さん」という流れが確かにあることが確認できます*5。
ただし、北之原さんの起用はそれだけではありません。『フルメタル・パニック!The Second Raid』では、1話を監督の武本さん、2話を山本寛さんが担当したあとに、3話を北之原さんが担当しています。『Kanon』では1話を監督の石原さん、2話を石立さんが担当したあとに3話を北之原さんが担当。また、『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』でも、1話を監督の石立さん、2話を藤田春香さん*6が担当したあとに、3話を北之原さんが担当しています。
監督が作品の方向性を示し、そのあとを勢いのある若手演出家が担い、そこに北之原さんが続く。こうした起用法も見受けられました。
では、そこで起用される役割とは。
スタッフコメンタリーで武本さんと北之原さんが話す、序盤話数を監督が演出する意義に関する会話が参考になりそうです。
武本 いままでかつてないぐらい、1~3話までコンテをさせていただいた。それはすごい充実してました。
北之原 最初のうちに監督で(コンテを)描くと道筋はできやすいですよね。
武本 前の作品で2話までコンテしたことがあった。そのときも確かに、1話で一本やるよりは、もうちょっとしっかり出来てる感じがした。3話やるとさらにいろんなことが固められたというのはある。*7
最序盤の話数を監督が担当することで、作品の方向性や演出の道筋を固めていく。そうした流れのなかで北之原さんが3話を担当するのは、監督が示した方向性を引き継ぎつつ、前の話数で広がった表現の可能性を受け止め、作品全体の流れを整える役割が期待されているからなのかもしれません。
ただし、それは単に前後の話数をつなぐだけの仕事ではないでしょう。監督が示した方向性と、ほかの演出家が見せた表現の幅。その両方を踏まえながら、作品としての一貫性を保つ。
京アニの演出陣で最多の担当回数を誇る北之原さんだからこそ、担える役割なのではないでしょうか*8。
7話担当・北之原さんの役割。
北之原さんの担当話数でもう一つ偏った担当話数があります。それが「7話」です。北之原さんの担当話数のうち最多の11回となっています。
3話では、前の話数との関係から、北之原さんが序盤の流れを引き継ぐ役割を担っている可能性を考えました。では、7話ではどうでしょうか。こちらも同じように、直前の話数に注目してみましょう。
北之原さんが7話を担当した作品、および当該作品の6話担当演出
| 作品名 | 6話担当演出 |
| AIR | コンテ:石原立也、武本康弘 演出:石原立也 |
| CLANNAD | コンテ・演出:高雄統子 |
| けいおん! | コンテ・演出:石原立也 |
| 日常 | コンテ・演出:三好一郎 |
| 境界の彼方 | コンテ:小川太一、石原立也 演出:小川太一 |
| Free!-Eternal Summer- | コンテ・演出:山村卓也 |
| 小林さんちのメイドラゴン | コンテ・演出:三好一郎 |
| Free!-Dive to the Future- | コンテ:山田尚子、藤田春香 演出:山田尚子 |
| ツルネ -風舞高校弓道部- | コンテ・演出:山田尚子 |
| 小林さんちのメイドラゴンS | コンテ:石原立也 演出:山村卓也、石原立也 |
| CITY THE ANIMATION | コンテ・演出:小川太一 |
該当の6話を並べてみると、テレビシリーズの中でも異彩を放つ話数や作家性の強い演出家の名前が多いです。
「異彩を放つ話数」を挙げると、まず『けいおん!』6話。この話数では文化祭があり、初のライブシーンがあり、なおかつミュージッククリップ風の演出がありました。日常芝居や登場人物の会話劇が中心であった5話までの演出とは、かなり異なる内容になっています。
『境界の彼方』6話はいわゆるギャグ回であり、そしてダンス回としても異彩を放っています。7話以降とは大きく作風が異なる話数でした。
「作家性の強い演出家」の話数をあげれば、高雄統子さんや三好一郎さん、山田さんの演出回が言わずもがな、といった話数です。このお三方だけで11回中5回を占めており、その次に北之原さんが担当される意味が少し見えてきそうです。
また、『AIR』6話はみちるの物語がクライマックスを迎える話数です。本編では京アニ特有の夕景へのこだわりが発揮されるとともに、2004年当時では珍しいCGレイアウトを使っており、他話数とは異なる演出のこだわりが随所に見られます。
『けいおん!』や『境界の彼方』もそうですが、6話は1クール作品においてほぼ中間に位置する話数です。作品全体の区切りとして6話と7話を境目にして、後半がスタートする7話で北之原さんを起用する。そうした意図が見えてきます。
以上のことを踏まえると、7話での北之原さんの役割は、前半から後半への切り替わりを演出面から支えることにあるのではないでしょうか。
6話までには、作家性の強い演出や、それまでと異なる趣向の話数が配置されています。そうした前半の展開を受けて、7話から物語が後半へ進んでいきます。
6話までに広げられた作品の表現を受け止め、7話からの新たな展開へとつないでいく。7話の北之原さんには、作品の流れを仕切り直し、後半の新たなスタートを支える役割があったのかもしれません。
北之原さんの演出回は「つなぐ」「整える」「仕切り直す」だけなのか?
ここまで北之原さんの3,7話の演出回について「つなぎの役割」であったということを確認してきました。しかし、「つなぐ」「整える」「仕切り直す」といった、「一貫性を保つだけの話数」ということで語りきれるでしょうか。
私はそうは思いません。作品全体の構成を見れば「つなぎ」だとしても、その話数には物語があり、そして演出があります。
たしかに北之原さんは京アニ演出陣において「個性が強い演出家」とは言えないかもしれません。しかし、担当回数の多さだけでは見えてこない、北之原さんならではの演出の技があります。
この点について、いくつかの演出回をピックアップしてみたいと思います。
『涼宮ハルヒの憂鬱』3話
テレビ放送順で3話目を北之原さんが担当した『涼宮ハルヒの憂鬱』。1話をシリーズ演出の山本寛さんが、2話を監督の石原さんが演出しています。1話は番外編に近い内容のため、物語的にはこの3話が2話目に該当します。
3話は全体的に2話同様、キョンのモノローグ主体の「物語のはじまり」であり、演出的にもカット割りやレイアウト、1カットごとの尺は2話と大きく異なるものではありません。しかし3話終盤、長門の言葉から「この世界の本質」に及ぶあたりの演出は、2話とは少し異なっていました。
2話ではあくまでも「学園物のはじまり」であり、宇宙人等の存在は別世界の話に終始します。不穏な空気はなく、キョンのモノローグによって静寂を作らない演出がありました。
しかし3話の長門とのシーンでは、飛行機のジェット音やエレベーターの音といった環境音が前面にくるカットによって、非日常の片鱗が演出されています。

また、北之原さんの演出回ではカメラの動きでなく、カメラの位置による演出が印象的です。そしてそのカメラ位置による演出は全体に個性を張り巡らせるものではなく、シーンごとに1カット程度であることが多いです。この話数で言えば公園へ向かうキョンのカット、エレベーターのカット、そして長門の家のファーストカットの広角ショットがそれにあたります。個性はあれど作品の雰囲気は統一されており、そのバランス感覚が絶妙です。
長門の家のカットはFIXで横位置から。窓枠による境界線とそれを横断する飛行機、奥で明滅する警告灯の灯り。画面にある動的なものは限定され、にぎやかにアイデアが詰め込まれた2話とは異なる画面の作りが印象的です。

いずれの演出もエピソード全体を見ると、監督回の道筋を意識したAパートの演出によって、しっかりと前話数の地続きになっているところに北之原さんの巧さを感じます。
4話(坂本さん演出回)の冒頭では長門の家から始まり、3話同様、横位置のカットが映されます。しかし3話と異なるのは、カメラブレを多用し、3話とは強烈に異なる印象になっています。これは偶然かもしれませんが、前話数で北之原さんのFIX演出があったからこそ、カメラブレの演出が強化されてると感じました。
前話数を踏まえ、自らの演出を示し、そして次話数の布石を残す。この『涼宮ハルヒの憂鬱』3話は、北之原さんの技が詰まったエピソードだと言えます。
『境界の彼方』7話
6話が強烈なギャグ回、かつダンス回だった『境界の彼方』では、続く7話で魅せた北之原さんのモチーフ演出が印象的でした。
番外編に近い6話の後、未来と桜の確執を解きほぐし、物語後半へと進んでいく話数。異界士の才能がない桜の劣等感や、未来や姉と過ごした過去の記憶を「丸」のモチーフで描いていました。
「紫の月が見えない」という異界士としての劣等感、それを取戻すための妖夢石回収、未来との清算のためのマンホール穴、そして桜と姉・唯を繋ぐ鈴。このエピソードで桜が過去を克服するまでをほぼ描き切る必要がある中で、北之原さんのモチーフ演出によって、桜の心のうちを巧みに表現していました。
『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』3話
本作の序盤において、主人公・ヴァイオレットが片腕を失ったことは過去を描く演出として使われるとともに、現在のヴァイオレットの「欠けたもの」の象徴としても描かれます。加えてこの話数では戦傷を負った兄と、妹・ルクリアのぎこちない距離感についても「手」に想いを積み重ねる演出がありました。

宙に浮いた手、手袋に包まれた手、かつての手と手、届かない手。「手」にクローズアップする演出は珍しくはないですが、この話数では積み重ねていく「届かない手」が非常に丁寧に描かれ、ラストの「再び繋ぐ手」への滑走路のようになっていました*9。
さらにこのエピソードは、北之原さんが作品全体に影響を与える演出を生みだした、という意味でも非常に重要です。
エピソード終盤、心の荒れた兄を持つルクリアに対し、自分の想いが伝わらないことで涙します。

この涙の表現について、スタッフコメンタリーではこんな話がありました。
石立 ルクリアが泣いているところですけど、ここの演出を北之原さんっていう人がやってくれてますけど、演出打ちのときにめっちゃこだわってはった。「普通に泣かせたくない」って。絵の表現として、涙がたまってきてツーと流れるというのは嫌だなと。普通の人が泣くときってそんな急に涙が玉になって溜まってでてきてっていうよりかは、目の表面自体が涙で潤んできて、その潤んだのが周りの光を反射して、少しキラキラして見える。っていうような表現からの(涙の)流れにしたいって。なので最初、少し下瞼の上あたりでキラキラしているのは、単にポロっと泣かすようにしたくないという北之原さんのこだわりがうまく形になってる。
高瀬 この涙に感銘を受けて、のちの話数でも結構使ってます。
石立 パクった?(笑)
高瀬 パクりました(笑)。これ良いなと思って。*10
京アニと言えば日常芝居へのこだわり、と言われていますが、その表現にはやはり最多演出回数の北之原さんも寄与しています。キャッチーなレイアウトや作家性の強い演出も京アニの面白さですが、その軸となるのは人物の芝居です。
派手さはないものの、感情表現に新たな風を吹き入れる北之原さんの演出は、「一貫性を保つだけの話数」ではない。そう言い切れます。
「京アニの2番バッター」の姿。
組織の中ではいろいろな役割を与えられますが、創作における「つなぎ役」というのは相当難しい役割だと思います。ただこなせばいい、というスタンスであれば、それは「面白みのない作品」と紙一重です。
自分の色を出しながら、作品の色も尊重する。芝居もアクションもこなし、そのなかで自身の演出を成立させる北之原さんの能力は、「3話、7話」というつなぎの話数に彩りをもたらすものだと、改めて思いました。
京アニの2番バッターの姿は、「信頼できる、多彩な便利屋」。野球で言うなら打って走って小技ができるバッター、といったところでしょうか。
そんなことが浮かんだところで、元ヤクルトスワローズ監督・真中満さんが語った「理想の2番バッター像」を思い出しました。
真中 (前略)2番に足の速い長打力があるバッターだったら、仮にフリーで打たせてもダブルプレーが少ないんで、1アウトランナー1塁で、塁に残るんですよ。そこからクリーンナップに行くんで、2番バッターに難しいこと、監督として考えなくてよくて楽だなと思って。
初回にランナー出て「どうするかな、送るかな、エンドランからなにしようかな」と思うんじゃなく、もう、ランナー出たらフリーに打たせる。初回の仕事が減るんですよ、監督として。*11
監督にとって仕事を減らす、頼もしいつなぎ役。そして一打にも確かな魅力がある。北之原さんこそ、そんな理想の2番バッターなのだと思います。
そして、そんな2番バッターがいるからこそ、「京アニ打線」は強固に繋がるのでしょう。
*1:野村克也著『野村克也 野球論集成』kindle版313頁。
*2:監督作品で別の演出家が演出することはどうなんだ、と思いましたが『私たちの、いま!
2019』48頁でこんな話をしてました。
山田 監督をしている作品をほかの演出スタッフに演出してもらうと厚みが出るというか。京都アニメーション・アニメーションDoの強みを感じます。寄り添いあって深めることができるんですよね。(後略)
*3:『響け!ユーフォニアム2』3話スタッフコメンタリーより。パッケージ3巻37分40秒ごろから。
*4:『涼宮ハルヒの憂鬱』、『中二病でも恋がしたい!』、『小林さんちのメイドラゴン』、『ツルネ -つながりの一射-』。ただし『涼宮ハルヒの憂鬱』は放送1話を山本寛さんが担当し、2話を石原さんが担当。
*5:北之原さんが2話を担当した4回のうち3回は、監督が1話で演出した後の2話です。3話という話数に拘らず、序盤話数を担う役割を考えると、この2話の演出も同義の役割なのかもしれません。
*6:『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』では藤田さんがシリーズ演出という役割であることに留意したいです。
*7:『小林さんちのメイドラゴン』3話スタッフコメンタリー冒頭より。
*8:留意したいのが、この役割を北之原さんが100%担っているというわけではないことです。北之原さんが序盤話数を担当していない作品がある、ということもそうですし、北之原さんが序盤話数をやっていたとしても、監督がコンテ修正を行い、表現の幅を整えるという可能性もあります。実際、『けいおん!』2話や『kanon』3話のコンテに監督が修正を加えているのが各ムック本で確認できます。
*9:『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』ソフト1巻の初回特典ブックレットに掲載されている北之原さんのコンテ抜粋ページでは、北之原さんの手の演出について石立さんがコメントを寄せています。
*10:『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』3話スタッフコメンタリーより。パッケージ1巻1時間5分10秒ごろ。
*11:古田の方程式チャンネル「オーダーの組み方と理想の2番打者論を 古田敦也・野村謙二郎・真中満が語る 【監督バイブル】」https://www.youtube.com/watch?v=vaVZXfRR4qo 10分35秒ごろから。




次のシーンでは、久美子のもとへ桜の花びらが落ちてきます。落ちてきた花びらは久美子から奏へ。




思い出の景色として、光差す窓際の風景を印象付けたうえで、淡いコントラストによる寂寥感の滲ませ方が見事です。
久美子に過去を打ち明けることで前を向き始めた求。閉じ込めていた思い出の景色から、埃を払ったかのように色味を取り戻す窓の景色。懐かしさと暖かさを感じる光の柔らかさが印象的です。その一方で、空間の広さが切ない感情を残しているのも素晴らしいです。そこにある光や空間が、求が姉を思い出すときの心象風景にもなっていて、面影を思い出すときの求の感情に寄り添う演出でした。
書籍の前に座り込み、熱心に目を這わす清六。その場に熱意を宿した清六を描くうえで、小さな窓の向こうの光が時間経過演出に一役買っています。そしてそんな清六の姿を映した後に映される、だれもいなくなった窓からの光。
単なる窓に縁どられた陽光ですが、「清六が長い時間を過ごした場所」という伏線を敷くことで、居なくなった清六を想起させる純朴な寂しさがありました。前回も取り上げましたが、『二十世紀電氣目録 - ユーレカ・エヴリカ-』には美術背景による切り札的演出があります。しかし、ここではインパクトのある技を使わず、窓でできた影とオレンジ色の空間を映すだけ。だからこそ優しく溢れる寂しさ。山村さんの演出の巧さを感じました。
電車の窓から眺めるいつもの景色。ぼんやり見つめながら考える姉との思い出と、変わる今。ありふれた景色の中でふと思い出す大切な記憶…というシチュエーションの作り方が、まず心に刺さりました。
Aパートラストカットを車窓越しに映る太陽で締めているのも好きなカットのひとつです。当然のように自分を見守ってくれていた存在に、改めて気づいた久美子と重ねる演出。窓の汚れに少し霞んだ景色の説得力。美しい風景ではないからこそ、心にスッと入ってくるような窓の演出でした。






