監督の小川太一さんは、本作のパンフレットで「紡ぐ」をテーマにしたと語っています。
この「紡ぐ」という言葉は、パンフレットに何度も登場し、舞台挨拶等でも触れられています。
では、小川さんはどう紡いだのか。
その答えは前編から積み重ねた、桜、雲、そして「託す」「託される」という関係性の演出にあったと思います。
「桜」・「雲」・「託す、託される」演出。
桜は、前編冒頭に印象的なシーンがありました。

久美子に部長を託し、卒業していく一学年上の先輩。回想シーンにはテレビシリーズの既存カットに挟まれて、桜のつぼみのカットが新規カットで挿入されています。このカットのコンテにはこのような端書がありました。
つぼみの桜 わずかに開く ゆれ始めて次CTと繋ぐ感じで*1
続く物語としての桜、という意味に加え、世代の入れ替わりのニュアンスをかすかに滲ませていました。
次のシーンでは、久美子のもとへ桜の花びらが落ちてきます。落ちてきた花びらは久美子から奏へ。
物語の始まりでありながら終わりを感じさせる演出が、先ほどの桜のつぼみのカットも相まって、とても印象に残りました。新学期、最上級生、部長という役割…新たに始まったことはたくさんあれど、終わりを感じさせる3年生という時間。久美子と奏のなにげない会話が、後編を見た後にはかけがえのない時間だったんだと、改めて気づかされました。
そしてこのカットが新規カットで小川さんが描写しているところに、桜というモチーフを積み重ねる明確な意図を感じました。
後編での桜は、終盤で受け継がれる「響け!ユーフォニアム」のシーンで描かれていました。後編のとても大事な描写の中で、前編と重ねるような桜のつぼみや、時間経過の演出によって桜の木が成長していく描写がありました。
春を過ぎれば、桜の花びらは散ってしまいます。しかし、散っては咲き、散っては咲く。高校生活や部活動という非常に短い時間であっても、確かに積み重なっていくものがある。前後編を使って積み重ねられた桜の演出は、その「積み重ね」を強く訴えるものがありました。
雲も桜と同様、前編冒頭から印象に残るモチーフです。
前編冒頭、久美子が「響け!ユーフォニアム」を演奏する間、校舎やその周辺が点描で描かれます。一つ一つのカットを楽曲と併せてゆったりとした時間で描いていました。

ここで個人的に気になったのは、「雲の流れ」です。
ゆっくりと流れる雲はリアリティの追求、という意図もあるかと思いますが、直前に描かれた回想によって、時間の移ろいを意識させられました。この雲の流れはCGや撮影セクションのアイデアではなく、コンテ段階からト書きに書かれていました。
雲ジワSL(よく見ると動いているくらいのニュアンス)*2
このカットのみならず、前後編で空が大きく映るカットは、ほぼすべてのカットで雲がゆっくりと流れています。コンテからのアイデア、かつ徹底された演出ということを考えると、雲の演出が小川さんの中でいかに重要な要素だったのか、というのが見て取れます。
それを踏まえると、後編の自由曲メドレーで描かれた入道雲からは「雲はいずれ流れてしまうが、積み重ねられていくものもある」という力強いメッセージを受取りました。
空に厚く重なる入道雲と、今までの北宇治高校吹奏楽部メンバー。遠くにありながら、確かにその存在を感じる大きさ。
自由曲メドレーのここぞというところで描かれた入道雲は、空の青さと雲の白色のコントラストがとても力強く、心にグッときました。
桜や雲に比べると直接的ではありますが、「託す、託される」演出を印象付けていることにも注目したいです。
前編では、久美子が託される側であったことを強調していました。

あすかからスコアノートを、一つ上の世代から幹部ノートを。託される物の差こそあれ、積み重ねることで託された久美子を印象づける演出でした。

滝先生から部室のカギを渡されるカットも印象的でした。
滝先生のオーディション結果に納得ができない久美子。いつものように北宇治高校吹奏楽部を託そうとする滝先生。それを受取ろうとして、久美子の手が下がる。いつもの動作から逸脱し、本心を漏らすという構図を作り出していました。
滝先生の答えに納得して飴を受け取る久美子は、滝先生から教師としてのみならず、北宇治高校の目指す場所を託される側として存在していました。
そして後編。北宇治高校を卒業する久美子は、あすかから託されたスコアノートを奏に託します。先に挙げた「託す・託される」のアングルで描くことで、単なる久美子から奏へのバトンタッチではなく、今まで積み重ねてきた「託す」をまとめて渡しているようにも映りました。
「託す・託される」という構図自体は珍しいものではありませんが、奏に託されたスコアノートがより一層特別となるような、そんな伏線的演出が本作にはありました。
「石じゃないよ。人だよ。」
雲や桜は、終わりを示すモチーフとしても使われます。
本作にもそのニュアンスがありますが、小川さんは、その終わりを「失われること」だけでは終わらせませんでした。モチーフに積み重ねられた想いを映すことで、消えていくものの先に、次へと続いていく繋がりを見せました。「託す・託される」演出は、それを明確に提示したものだったと思います。
また、滝先生は生前の妻に、高校で吹奏楽を教えるのは「賽の河原に石を積んでいるようなものじゃないか」と語ります。しかし妻は、「石じゃないよ。人だよ」と答えます。
このシーン自体はテレビシリーズから存在していたものです。しかし小川さんは、この言葉を本作の様々なモチーフに仮託してみせたのではないでしょうか。
いずれ雲は消え、桜は散る。三年間を終えた部員も、北宇治を去っていきます。
積み重ねたものは、いつか姿を変えます。それでも、それは無駄になるわけではありません。人である彼らは、次の誰かによってその足跡を残していくのだと思います。
小川さんが積み重ねてきた演出によって、「石じゃないよ。人だよ。」という言葉は、自由曲メドレーや「響け!ユーフォニアム」という音楽となって紡がれ、さらにその音楽は、北宇治高校吹奏楽部のこれまでと、これからの軌跡を描き出しました。
説得力のあるモチーフ演出の後に映し出された音楽と映像は、あまりにもエモーショナルで、あまりにも鮮やかでした。
紡がれたもの、積み重ねたもの。
本作は、3期の総集編という側面を確かに持っています。しかし、小川さんによって再編集され、新規カットによって肉付けされたこの「総集編」は、もはや単なる総集編ではありません。
そこには、時間とともに積み重ねられてきたものを、人から人へと受け渡し、過去から現在、そして未来へと紡いでいく、小川さん自身の演出がありました。テレビシリーズとも少し異なる、小川さんなりの演出とも言えます。
もっとも、「紡ぐ」というテーマそのものが、小川さんだけのものだったわけではありません。久美子が三年生になった時点で、これまで描かれてきた出来事や人間関係は、すでに物語としてつながっています。これまでの物語を振り返れば、そこに「紡がれてきたもの」を見出すことはできるでしょう。
だからこそ、小川さんの「紡ぐ」は、過去と現在をただ結び直すことではなかったのだと思います。
前編で桜や雲、「託す」「託される」という仕掛けを積み重ね、それらを後編で時間の流れとともに回収し、一つの意味へと変えていく。その「積み重ね方」こそが、小川さんにとっての「紡ぐ」だったのではないでしょうか。


思い出の景色として、光差す窓際の風景を印象付けたうえで、淡いコントラストによる寂寥感の滲ませ方が見事です。
久美子に過去を打ち明けることで前を向き始めた求。閉じ込めていた思い出の景色から、埃を払ったかのように色味を取り戻す窓の景色。懐かしさと暖かさを感じる光の柔らかさが印象的です。その一方で、空間の広さが切ない感情を残しているのも素晴らしいです。そこにある光や空間が、求が姉を思い出すときの心象風景にもなっていて、面影を思い出すときの求の感情に寄り添う演出でした。
書籍の前に座り込み、熱心に目を這わす清六。その場に熱意を宿した清六を描くうえで、小さな窓の向こうの光が時間経過演出に一役買っています。そしてそんな清六の姿を映した後に映される、だれもいなくなった窓からの光。
単なる窓に縁どられた陽光ですが、「清六が長い時間を過ごした場所」という伏線を敷くことで、居なくなった清六を想起させる純朴な寂しさがありました。前回も取り上げましたが、『二十世紀電氣目録 - ユーレカ・エヴリカ-』には美術背景による切り札的演出があります。しかし、ここではインパクトのある技を使わず、窓でできた影とオレンジ色の空間を映すだけ。だからこそ優しく溢れる寂しさ。山村さんの演出の巧さを感じました。
電車の窓から眺めるいつもの景色。ぼんやり見つめながら考える姉との思い出と、変わる今。ありふれた景色の中でふと思い出す大切な記憶…というシチュエーションの作り方が、まず心に刺さりました。
Aパートラストカットを車窓越しに映る太陽で締めているのも好きなカットのひとつです。当然のように自分を見守ってくれていた存在に、改めて気づいた久美子と重ねる演出。窓の汚れに少し霞んだ景色の説得力。美しい風景ではないからこそ、心にスッと入ってくるような窓の演出でした。











挿入歌を牟田亮平さんが歌ってたり
KOCP(京アニプロジェクトオリジナルコンテンツパートナー)というかっこいい名前の元、京アニスタッフやそのご親族らしき人たちが名前を連ねていたり、そのクレジットがなぜか申込順だったり。




発達した蒸気技術によって空が暗くなった結果、人々が様々な色の布を広げたという設定も、「蒸気による暗闇」を強く意識させるものでした。町中に張り巡らされた蒸気管もそうですが、この世界では空だけが暗いわけではなく、町の中にも、建物の中にも、生活のすぐそばにも蒸気が存在しています。

稲子が死へと落ちていくイメージ。暗闇に関連して、やはり煙霧が登場します。
1話アバン、真っ暗闇の中で、電気の灯りが光を放つ。
一方、死後の世界と錯覚した稲子が見つめる極楽の光も印象的でした。ここでは、稲子のまっすぐな瞳に映る光が強く印象に残ります。