『二十世紀電氣目録 - ユーレカ・エヴリカ-』1・2話。煙霧と光の演出。

『二十世紀電氣目録 - ユーレカ・エヴリカ-』の放送が始まりました。
1・2話を観て強烈に印象に残るのは、画面を満たす「煙霧の暗さ」です。

アニメオリジナルのスチームパンク要素によって、この世界には煙霧が当たり前のように漂い、発達した蒸気技術の代償として空は茶色に濁っています。画面のどこにカメラを向けても、濁った煙霧が絡みついてくるような世界観。これが強烈でした。

この世界における対比構造は「影と光」…というよりも、「煙霧と光」と呼んだ方がしっくりくるように思います。
光を閉ざし、視界を奪う「煙霧」があり、その煙霧の向こうで暗闇を恐れる喜八が電気の光を追い求めている。光を閉じ込め、世界を狭くしていく煙霧と、その中から世界を照らし出そうとする電気。
この構造があるからこそ、対比表現は単なる演出上の装置ではなく、「明磁」という時代そのものを彩る要素として存在していました。

今回は、1・2話で印象に残った「煙霧」と「光」の表現を振り返ってみたいと思います。

世界を覆う煙霧

1話のファーストカット。この作品は光を遮り、視界を奪う蒸気の煙から始まります。
異様なまでに発達した蒸気の世界。その象徴として存在する煙ですが、これから始まる喜八の物語にとっての「敵役」のようにも見えました。

発達した蒸気技術によって空が暗くなった結果、人々が様々な色の布を広げたという設定も、「蒸気による暗闇」を強く意識させるものでした。町中に張り巡らされた蒸気管もそうですが、この世界では空だけが暗いわけではなく、町の中にも、建物の中にも、生活のすぐそばにも蒸気が存在しています。
世界にカメラを向けるたび、蒸気という存在が絡みついてくる…その画面の作り方が面白いです。

「絡みつく煙霧」といえば、洋輔が漂わせるお香の煙も印象的でした。
蒸気によって世界全体を覆う煙と、洋輔の周囲に漂って稲子や喜八を包み込む煙。一見すると異なる二つの煙ですが、いずれも人を包み込み、光を閉ざし、世界を狭くしていくものとして描かれています。

様々な意味合いを込めているからこそ、煙霧は単なる背景ではなく、この世界を覆い、そして喜八たちを閉じ込めているものと言えます。

「煙霧」ではない暗闇

本作には煙霧以外の暗闇も登場します。

1話で稲子が死後の世界と錯覚した暗闇では、アウトラインを白にすることで、現世とは反転したような画面が作られていました。
アニメでよく見る薄暗い暗闇とは一味違う工夫を見ると、本作にとって「闇」がいかに重要なものであるのかが伝わってきました。そしてこの表現によって、「暗闇」というものが喜八だけの問題だけではなく、稲子にも関連するモチーフであることが位置づけられていました。

稲子が死へと落ちていくイメージ。暗闇に関連して、やはり煙霧が登場します。
煙霧によって視界を奪われ、どこへ向かっているのかも分からなくなる。煙霧という存在が、単に「蒸気の世界」を表現するためだけではなく、登場人物たちの置かれたネガティブな状況を示すものとして使われています。

ただし、煙霧と一口に言っても、その表現は一様ではありません。画面全体を覆う煙、人物の周囲に漂う煙、奥行きを作る煙、そして、死へと落ちていく稲子を包む煙…煙霧の形や濃さ、漂い方が場面ごとに異なります。

その時々によって姿形を変貌させる煙霧の表現は、一様には捉えられない「不安」や「恐怖」の象徴としても用いられ、世界や登場人物を非常に饒舌に語っているように見えました。

煙霧の向こうにある光

暗がりを照らすものとして、本作では光の演出も強烈です。

1話アバン、真っ暗闇の中で、電気の灯りが光を放つ。
その光が持つエネルギーと喜八が受けた衝撃が、画面全体を覆いつくしていきます。周囲の人物の写実的な描写も含め、情報量が一気に加速していくような演出でした。

画面の中に存在するものが、一瞬にして増殖していく。「光を見た」という出来事を、台詞や表情ではなく、画面そのものの密度によって表現する。
こういうアイデアは、画面の密度で勝負する太田さんらしい演出だと感じました。

そして、ここで喜八が見た電気の光は、単に暗闇を照らす明かりではありません。それまでの世界の見え方を変えてしまうものです。暗闇の中にあったものを照らし出し、見えなかったものを見えるようにする。暗闇に対する恐怖を凌駕する明るさ。電気に惹かれる理由が、光そのものの中にある。そんな印象を受けました。

一方、死後の世界と錯覚した稲子が見つめる極楽の光も印象的でした。ここでは、稲子のまっすぐな瞳に映る光が強く印象に残ります。
煙霧によって濁った世界。その中にある稲子の透き通った感情、そして、その瞳に映る光。
煙霧と光の対比は、単純な画面上の明暗だけではなく、登場人物の内面にも接続しているのだと改めて感じました。

2話では、煙霧に包まれた世界の上へと喜八たちが舞い上がります。ここでは稲子の「信じる」という長所が、煙霧に覆われた世界の上へと押し上げていくような展開が印象的でした。

世界がどれだけ煙霧に覆われていても、稲子はその向こうにあるものを信じる。この場面では、光が単に「希望」を表しているというより、稲子の持つ性質そのものに光が当てられているように感じました。

煙霧に覆われた世界で

『二十世紀電氣目録』の世界には、暗闇を生み出す「煙霧」があります。それは蒸気技術の発達によって空を覆い、町を包み、人々の視界を奪うものです。

洋輔の周囲に漂うお香の煙もまた、稲子や喜八を包み込み、稲子が死へと落ちていく場面にも煙霧が現れます。

煙は、世界を覆い、視界を奪い、人を閉じ込める。だからこそ、その中で電気の光を追い求める喜八の存在が強く印象に残ります。

ただし、本作における光は、単に「暗闇を照らすもの」として描かれているわけではありません。喜八にとっての電気は、世界を変えてしまうほどの衝撃です。稲子にとっての光は、自分が信じるものを照らし出すものです。

『二十世紀電氣目録』における煙霧と光は、単なる画面上の明暗だけではありません。煙霧に閉ざされた世界の中で、まだ見えないものを見ようとする情熱そのものが、光として描かれています。

1・2話では、その光がまだ世界全体を照らすことはなく、むしろ、煙霧に覆われた世界の中で、ほんの一瞬だけ強烈に輝いていました。

その光が世界をどう変えるのか。そして喜八や稲子をはじめとする「電氣目録」を取り巻く人物たちにどのような光を見せるのか。

今後の展開や表現が楽しみになる煙霧と光の演出でした。

太田稔さん演出回を振り返る。

ついに今月放送開始の『二十世紀電氣目録』。

太田稔さん初監督作品ということで、今回は太田さんの演出回を振り返って見たいと思います。

太田さんのキャリアを振り返る。

アニメーションDoのアニメーターとして『けいおん!』(2008)3話で動画デビュー。『日常』(2011)4話で原画昇格後は原画マンとしてキャリアを重ね、『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』(2018)で小物設定として初メインスタッフ入り。高橋博行さん亡き後のユーフォシリーズ楽器作監も担い、今や京アニ作画の中軸と言えます。

演出デビューは他の京アニ演出陣と比べると比較的遅め。『ツルネ ―風舞高校弓道部―』(2018)1話での演出デビューはアニメーションDo演出の河浪栄作さん、山村卓也さんがキャリアを重ねていって、お二人が監督になったタイミング…といったところでしょうか。

演出キャリアは以下のとおり。

『ツルネ ―風舞高校弓道部―』(2018)演出補佐 1話 演出 8話 13話

『小林さんちのメイドラゴンS』(2021)演出 7話 絵コンテ・演出 9話

『ミニドラ』(2021)演出 5話 8話 11話 12話 ex1話 ex3話

『ツルネ -つながりの一射-』(2023)演出 7話 絵コンテ・演出 11話

『響け!ユーフォニアム3』(2024)絵コンテ・演出 10話

『CITY THE ANIMATION』(2025)絵コンテ・演出 5話

※太字は単独コンテ演出回。
※『ミニドラ』は絵コンテと演出処理含めて「演出」表記。

単独コンテ演出が主流だった京アニ演出の体制が変化したり、太田さん自身がアニメーターとの「二刀流」なのもあって、7年ある演出キャリアで単独コンテ演出回は3回のみ(短編アニメの『ミニドラ』は除く)。

…前置きが長くなりましたが、単独演出回に加えて、絵コンテ単独・演出を北之原さんと一緒に担当された『響け!ユーフォニアム3』10話を振り返ってみましょう。

『小林さんちのメイドラゴンS』9話

まずは初単独演出回の『小林さんちのメイドラゴンS』9話から。

本話数のコメンタリーで太田さん自身が「初めて故に」「好き勝手やった結果あんな画面ができたんでしょう」と語っていますが、「動き」の部分でかなり盛り込んだ内容になっています。

専務室へ向かうエレベーターのアイデアが個人的に好きです。何気ない場面転換にエネルギーを使うこの感じが、まさしく「好き勝手」やってる感じ。どこかエネルギッシュにも見えました。

映像演出という意味では専務室の光の入れ方が面白かったですね。ブラインドの直線的な入射光で作る不穏な雰囲気。短いシーンでも印象的にするアイデアでした。

Bパートのトールとエルマのアクションは手数の多さとその密度が素晴らしいです。原画マンの力量もあるかと思いますが*1、情報量の多い絵作りから逃げない姿勢が見事。

コメンタリーでも太田さんが何回も口にしてますが、「コンテ描いてて楽しい」が伝わってくる演出回でした。

『ツルネ -つながりの一射-』9話

このエピソードも見どころが山ほどありますが、ピックアップしたいのは2つ。

まずは風舞高校の「つながり」の演出として使われた「波の演出」。

屋内に波を作るアイデアがまずおもしろいです。個人競技のようにもみえる弓道団体戦ですが、言葉を交わすこともできず、目と目を合わせることもできない状況の中で、波を使って一体感や想いの連鎖を具現化していました。
この波は撮影だけかと思ってましたが、作画との合わせ技とのこと。複数セクションを使ったアイデアと表現の濃度が素晴らしいです。

二階堂永亮が放つ辻峰高校の想いを乗せた一射の演出。

ハーモニー処理で描かれる色彩豊かな一射。これは太田さんのアイデアであると「ツルネ -つながりの一射- 公式ファンブック」で語られています*2。そして破裂する表現は撮影の船本さんのアイデア*3。ここでも背景と撮影という他セクションの合わせ技。

『響け!ユーフォニアム3』10話

『響け!ユーフォニアム3』全体が過去のシリーズ中の演出を土台にしているところが多く、この話数も太田さんの演出、と言い切るには難しいところが多々あります。

この話数で言えば宇治川沿いの久美子と麗奈が衝突するシーンや久美子の走り、演説の瞳のアップショットなんかは、そのシチュエーション自体に意味合いを込めているところが強かったりします。

それでもピックアップしたいのは、あすかの家でのプロップを使った演出。

これも間違いなく2期9話を踏襲した演出なんですが、久美子の行き詰まった感情と、それをあすかが壊してくれるかもしれない、という期待感を、プロップを使って表現しているのが印象的でした。

特にこの紅茶の揺らぎ*4。あすかが帰ってきた音に反応する久美子の指の動きと、それにリンクする水面の光の変化。久美子の期待感を表現するものとして、そして久美子の閉塞感に一筋の光が差す表現として、この水面の揺らぎの緩急が絶妙でした。

『CITY THE ANIMATION』5話

放送当時話題になった話数ですが、やはりこの話数の演出は「密度」でしょう。

パノラマや画面分割演出を使った作画の密度、実写の美術を用いた背景美術の密度、「大和絵」や「絵巻物」のようなデザインによってエンディングで描かれた世界観の密度。

アイデアすべてを詰め込んだような画面の密度は、「作中の世界の繋がり」であったり、「作中世界の奥行きの広がり」であったり、「作中の過去と現在の繋がり」を強固にさせていました。

アイデアやギミックが先走りして語られがちなエピソードですが、そこには世界観を尊重する太田さんの姿勢がしっかりと存在していると感じます。

「総合芸術」を演出する。

こうしてざっくりと振り返ってみると、太田さんの「作家性」がぼんやりと浮かび上がってきます。

それは、カメラワークやレイアウト、あるいは作画といった単一の要素だけで勝負するのではなく、「アニメーションにおける使える手札をフルに使い、それらを複合させて画面の密度を極限まで高める」というアプローチです。

もちろん、複数セクションが主役となる演出は太田さんだけのものではありません。そもそもアニメーションは、作画・美術・色彩・撮影・3DCG・仕上げなど、数多くのセクションが一つの映像を形づくる総合芸術です。

ただ、その「総合芸術」であることをここまで積極的に演出へ組み込んでいる点に、太田さんらしさがあるように思います。

そして、その背景には京都アニメーションという制作環境の存在も大きいのでしょう。主要な制作工程を社内で抱え、各セクション同士が密接に連携できる京アニだからこそ、「このセクションの後はあのセクションへ」という作業工程だけでなく、最初から完成画面を見据えて各部署が呼応し合うような画づくりができるのだと思います。

太田さんの演出は、その恵まれた環境がもつ表現力を最大限に引き出すものではないでしょうか。波紋は撮影だけでは成立せず、画面分割はレイアウトだけでは成立しない。プロップの揺らぎも、実写美術との融合も、それぞれが独立した見せ場ではなく、複数セクションが互いを引き立て合うことで一つのエピソードとして成立しています。

感情を描くための密度。

これほど多彩なアイデアやギミックが詰め込まれていながら、「演出の自己満足」ではないところがまた、魅力的な部分です。
なぜ「演出の自己満足」に映らないのか。それはこれらの高密度な表現が、突き詰めると「彼・彼女らの感情をどう表現するか」という一点に行き着いているからだと思います。

言葉にできない団体戦の一体感を可視化するため、行き詰まった少女の微かな期待感をすくい取るため、あるいは世界そのものの繋がりや奥行きを証明するため…内面や関係性を描き出すために、その緻密な画面密度を作りだしているのでしょう。

「ツルネ -つながりの一射- 公式ファンブック」でツルネ2期9話のハーモニー演出を語る太田さんの言葉には、そうした密度の真意がわずかに垣間見えました。

写実的なやり方では二階堂の情念を表現しきれないと思い、絵画のような抽象表現を使いました。*5

既存の表現では描き出せない感情。それを描き出すための様々な手段、そしてその表現の密度。
複数セクションの掛け算による圧倒的な「画面の密度」の高さと、そこに込められたキャラクターへの誠実な眼差し。それこそが、「太田さんの演出」と言えるのかもしれません。

 

『二十世紀電氣目録』で「太田さんの密度の演出」がどう発揮されるのか。とても楽しみです。

*1:前半は佐藤達也さん。ソースはスタッフコメンタリー。コメンタリーでは後半が若手女性原画マンと話しているので徳山さんっぽい。

*2:「ツルネ -つながりの一射- 公式ファンブック」79頁。

*3:当該話数のスタッフコメンタリーにて言及あり。

*4:カップが2期9話と同じなのもニクい演出。

*5:「ツルネ -つながりの一射- 公式ファンブック」同上。

【ネタバレあり】『二十世紀電氣目録-ユーレカ・エヴリカ-』舞台挨拶付き先行上映(1~3話)に行ってきました。

6月14日、『二十世紀電氣目録-ユーレカ・エヴリカ-』舞台挨拶付き先行上映に行ってきました。

入場者特典は岡村さん描き下ろしイラスト。ハムヘイ、ビッグになったな…(偉そう)

私は喜八があたりました。

 

上映は1話から3話をぶっ通し。今回の上映ではあくまで「上映版」らしく、放送版では未公開カットもあるとか。

エンドクレジットは1~3話をまとめたものになっていました。

コンテは太田さん一人。演出は太田さん、山村さん、宮城さん。順当に行けば一話を太田さん、二話を監督経験ある山村さんがやってそうですが、芝居の誇張のさせ方とかアクション的に2話が宮城さんっぽく見えました。作監と原画はクレジットが速くて全然わからず。

舞台挨拶レポ

…を書こうと思ったらこちらにレポートが。

aniverse-mag.com

補足するところもあんまりないですね。短い時間でしたが太田さんの発言も多くて面白かったです。太田さんは見るからにド緊張してましたけど、発言はいろいろ小ネタを入れていくスタンスで、それもまた面白かったり。

アニメ本編は全体的にコミカルな芝居とか誇張されたデフォルメチックな表情が多く、それが軸になってるシーンもたくさんあったんですが、

「彼らはふざけているわけじゃなくて、真剣に生きた結果ああいう表情になるんです。コンテを描きながらノリでどんどん生まれていきました」

この発言は意外でしたね。作品の方向性すら左右するような極端さでしたから、当初の演出の方針として固まってるものだと思いました。

もしかしたらツルネ2期のように監督がほぼほぼコンテ切る、みたいな体制なのかもしれないですね。

アニメ1~3話に見る、原作との違い。

まずは思いつく限り、原作とのアニメ(1~3話)の違いを列挙してみたいと思います。

  原作 アニメ
時代設定 史実と同様の明治時代 蒸気の技術が発展した「明磁」時代
電気目録 終盤まで所在不明 序盤で11番までがすぐに見つかる
兄・清六と登場人物の関係性 終盤まで明かされない 序盤で規子や陸との繋がりが明かされる
万国博覧会 電気の力が示される場所 蒸気の力が示される場所
万国博覧会での清六 規子との逢引のために喜八と分かれる

 イルミネーションをつけるために喜八と分かれる

洋輔 百川家の関係者とは初対面

陸と清六とは高等小学校の同級生

洋輔の目的 出世欲のため百川酒造を手中に収めたい 電気目録を実現させるという清六との約束を叶えたい
喜八の人物像 活発 臆病な一面がある
稲子のドジ 叱責され、稲子が死を考えるほどネガティブに描かれる コメディタッチな表現
稲子の髪型 序盤でショートカットに変わる 3話までは言及なし
アニメオリジナルキャラ   すずとケイト、鱒淵、オコジョのイナリ

アニメは序盤しか見ていないので言い切れない部分もありますけど、印象は原作を読んだときとかなり違ったものに見えました。2、3話はほぼほぼアニメオリジナルのエピソードで、「原作」というより「原案」といった感じでした。

原作では稲子が望まない結婚に対して、シリアスに受け止め、父からの叱責によって本気で死を口したりするんですが、アニメではデフォルメチックな驚きをもって受けとめています。原作は「稲子の望まない結婚と、それを阻止するために洋輔が望む電気目録を探す」というのが物語の核となっていて、そこにはかなりシリアスで繊細な感情の機微があったんですが、洋輔が百川家でなく清六に固執している、とすることで、作品の雰囲気はガラリと変わっています。

また、原作では青春映画のようなロードムービーなんですけど、アニメでは稲子も友人も出てきて、彼らが今まで培ってきたコミュニティを舞台にしそうな印象を受けました。

清六が百川家まわりに関係がある、ということを(詳細は隠してますが)早々に明かしてしまったのも驚きましたね。原作では規子や陸への清六の影響力を終盤で明かすのに対して、アニメでは早々に清六が物語のカギを握っていると示唆していました。

正直、原作の湿度高めな稲子が気に入ってましたし*1、終盤に明かされる清六の存在、という構成も好きだったので、その点はちょっとショックでした。
ただ、原作のステレオタイプな悪役である洋輔がすごくもったいない気がしたので、行動に含みをもたせ、ケレン味があるアニメの洋輔像はとても良かったです。

 

原作もそうですし、今までに公開されたPVをみると硬派な作品になるのかな、と考えていたんですが、蓋を開けてみると太田さんの個性が光る冒険活劇になっていて、とても面白かったです。

本放送が楽しみになる先行上映でした。

*1:

https://www.kyotoanimation.co.jp/books/20thdenmoku/img/comment/commentIkeda.jpg

原作公式HPにある池田さんのイラストを見ていただければ分かるとおり、天真爛漫ながらこんな感じのアンニュイさと素朴さをまとった感じのキャラクター像でした。

絵コンテで見る『響け!ユーフォニアム3」12話 【久美子の「妹感」】

A,Bパート取り上げましたが、もう一点だけ…!

 

Aパート、両親に進路を伝えたあと、自室で姉・麻美子のメモ書きを見る久美子。そのコンテに「表情、妹感」という小川さんの端書が。

3期では「部長」、「最上級生」をずっしり背負ってきた久美子ですが、そうなんですよね、久美子は「妹」でもあるのです。
少し緩んで本音がこぼれた表情。そしてそれをなんとなく恥ずかしく感じるような口の閉じ方。瞳のハイライトだけが揺れていて、姉の優しさに対して隠しきれない笑み。
1期のころ、久美子が姉に対して「勝手に入ってくるな」なんて言ってましたけど、メモとして残した「姉の侵入跡」には嬉しさがこぼれてる感じがとても良いです。

 

このシーン付近はコンテから本編にかけてカットされてる部分が多いんですよね。
コンテだと進路を書いて、先生に見てもらって…というのをじっくりやってるんですけど、本編だと書きに行くところまで映して場面転換。個人的にはこっちのほうがテンポ感あって良いな、と思いました。

ちなみに久美子の「だから帰ってきすぎぃ」というセリフは、シナリオだと「…(ニコリと)…嘘つくなよ」*1。同じ照れ隠しの言葉ですけど、前者のほうが家族の一員としての姉・麻美子として際立つニュアンスになっていました。

「妹・久美子」のこれまでとこれから。

「妹・久美子」について、1期1話のスタッフコメンタリーで山田尚子さんが面白いことを言っていました。

山田 久美子は女の子です。妹なんです。結構空気読むというか、まわりを見る子なんですよね…っていう反面、自分の好き嫌いを公に言わなくなるというか。久美子の部屋だけでは自分の隙ができる。好きなことをさらけ出せるというような。お姉ちゃんはいっぱい叱られたりとかいっぱいあった分、天真爛漫な部分があるんですよね。私これ好きっていうような強さを持ってる。妹は怒られなかった分自分を出すことがあんまりうまくないのかなと。お互い良いこと悪いこと両方あるのかなと思うんですけど。久美子は妹で、道を切り開いてくれるのはお姉ちゃんなんですよね。

そう、確かに、今まではそうだったんです。でも今回は姉の介添えではなく、自分自身で自分をさらけ出した。さらけ出す場所が、ようやく久美子の部屋だけではなくなった。

しかし、それでも姉は姉として、これまでの20年近くそうしてきたように、妹の道を切り開こうとしてくれている。それが久美子の部屋に、こうしてメモとして残ってるんですよね。そしてそれを見た久美子からは「妹感」があふれる。一気に変わってしまったわけではなく、「妹感」も久美子の部屋には確かに残ってるわけです。

 

この3期12話でこの「妹感」を残しつづけている小川さんの感覚が素晴らしいとしか言いようがありませんでした。久美子が妹として生きてきて、そこから一皮向けて、今の久美子がいる。でも、生まれ変わったわけじゃない。このニュアンスがあまりにも絶妙でした。

山田さんはすでにユーフォに関わってないですけど、小川さんは「繋ぐ」を実行し続けている。小川さんが口先だけではないということが、こうしてコンテからもひしひしと伝わってきました。

*1:「『響け!ユーフォニアム』シリーズ 公式シナリオブック 下巻」307頁。

絵コンテで見る『響け!ユーフォニアム3」12話【Bパート】

前回記事に続いてBパートで気になったところをいくつか。

 


B冒頭、ソリスト決め前の真由と久美子のシーン。
「実力主義」に塞がれた真由の回想バンク中に新規カットが。
5話の「オーディションに参加しなければいけないのか」という真由の質問と、中途半端に挙がった手。5話ではその質問自体にクローズアップされていましたが、ここではむしろ「言い淀む」を体現する手をクローズアップしています。同じ場面でありながら拾う感情は異なっていて、その切り取り方のさりげなさが巧いです。

 

真由の真意に触れるあたりはコンテでコンポジットの指示が多くなっていきます。
久美子に核心を衝かれるところは、ト書きに感情が乗っていて面白いです。
「今までになく感情が露わになる真由」「それは触れてほしくないこと」「真剣に吹く真由 どこか楽しそうでもある」。ここでようやく真由の内面に触れるわけで、その感情を一緒に伴走しているようなト書きです。

ちなみに、201カット目と202カット目の間にあるト書き「外からの光 徐々に強くなって」「トランジション 光の印象とつないで」という光の演出は本編で使われていません。良いアイデアだなと思ったんですが、やらなかった理由…かもしれない発言が『ユーフォ3』3話のコメンタリーにありました。

小川 (前略)どうしても光加減ってインフレしていくじゃないですか。要するに、ここ光ったらもう少し光らせなきゃってなって、さらに光らせちゃって…ってなっていくと。ここで光っちゃうと後がないっていうタイミングとか。

石原 一番大事なところを光らせないといけない。

小川 そうなんですよ。これみよがしに光っちゃったりすると、興ざめと言うか、過剰演出になってしまう。

このカットもコンテどおりでいくと、光のトランジション演出を使ったあとに夕景の光を見せなければならないわけで、そうするとまさしく「ここ光ったらもう少し光らせなきゃ」という光の過剰演出の"るつぼ"になってしまうんですよね。真由の熱意を表現する回想カットですから、そこを、そこだけを光らせるために…という判断だったのかもしれません。

 

「胸の高鳴り」というト書きを表現する「ポン寄りとダブルアクションみたいなPANUP  みたいなテンポ感」。徐々に感情が昂ぶっていくような、そんなパンアップに感じました。
先程取り上げたシーンは「光の引き算」みたいな演出でしたが、このカットは逆に「光の足し算」。「いい顔」で締めるカット終わりを背面の光で彩るようなアイデアでした。

 


シーン終わりもパンアップで。「かっこいいL/O何卒!」から伝わる久美子と真由の、そして小川さんの高揚感。

 


「どちらかほんのり分かってしまった様な」というト書きが切ない。奏の動きとしては非常に微妙な動きですが、瞳の揺れがその心内を語っているようで、ニュアンスが絶妙です。

 


真由がスローモーションで一歩前に出るシーン。
久美子の瞳のアップショットは「ショックはもう過ぎていて 落ち込んでいるニュアンス」とあるんですが、次のピクチャ部分にある、久美子が目線を下げる芝居にバツされているように、本編は少し違う印象を受けました。落ち込みの描写を強調しない分、覚悟が決まった久美子を強調するイメージ。直前に映る麗奈の表情が極端な分、なおさらそう感じました。

 


この話数は「ここぞ」というところのパンアップが多いですが、私には久美子の背中を押す小川さんなりのエールのように感じました。苦しい場面を乗り越えて成長する久美子を押し上げるような、そんなパンアップ。
「私はそう言った」というト書きからは久美子の表情の強さが伝わってきますが、それとともに「あなたはそう言ったんだ」と檄を飛ばす小川さんの想いも伝わってきました。

 

本編と比較していただくとわかりやすいんですが、「どうしてそんな…」と声が詰まる奏のカットは、コンテだと奏の表情にカメラを寄せるんですが、本編では表情を映してないんですよね。この塩梅が本当に素晴らしいです。
奏のあふれ出る気持ちっていうのは、もうこの話数のこれまでで映されているわけで、久美子を責める感情が建前でしかないことはわかっているわけです。なので、表情という建前でなく、胸の内という本音にクローズアップする。これ以上ない演出だと思います。
「お人好しなんですか」が涙ぐんで言えなくなる、という芝居も素晴らしいです。この判断は鶴岡音響監督でしょうか。奏役の雨宮天さんの演技含め、もう、ただただ素晴らしいです。

365カット目、久美子の表情を映すカットの「どんなにキレイにまとめても こういう気持ちもあるのだ」というト書きもいいですね。「正しい」だけじゃない。それは久美子が一番よくわかっていて、2期10話、あすかに対して言った「先輩は正しいです。でもそんなのはどうでもいいんです。あすか先輩と本番に出たい。」という言葉のとおり、こういう気持ちもあることをわかっている。だから正しさも、そうでない感情も受け止められる。

ちなみに奏とのシーンは、シナリオでは以下のような内容でした。

奏「久美子先輩」
久美子「(振り返り)?」
奏「…悔しく、ないんですか?」
久美子、ニコリと
久美子「悔しいよ。…でも嬉しい」*1

全く違う濃度で驚きました。シナリオがコンテ時点で変わっていて、さらによく見るとコンテから本編にかけてもセリフが変わっています。この奏のシーンはいろんなセクションの情熱を感じます。

 


ラストの大吉山のシーン、「わからないわけでないでしょ 久美子の音を」と言われた後の久美子の表情。「ショックと麗奈への愛しさと誇らしさが同時にくる様な」というト書きが良いです。そしてこの難しい注文に応える、佐藤知美さん原画。

 


直前に1期の大吉山オマージュがあって、ここでは2期11話、小川さんが演出処理をした回*2からセルフオマージュ。
小川さんは足元の演出を語られがちですが、ユーフォシリーズではむしろ手の芝居の方が大事な場面で際立っている気がします。

 

以上。

振り返ってみると、この話数は、久美子の最後のセリフ「私、この気持ちも胸を張って誇りにしたい」に集約されるコンテワークだったと思います。

教師という進路を選んだ決断。まわりからの期待、そして敗北。
それは久美子の高校生活の岐路であり、「部長・黄前久美子」の岐路でもある。

胸元を映すカット、パンアップとアクションつなぎ、過去話数のオマージュ、特別な相手と手をつなぐ演出。そうした数々のアイデアを積み重ねることで、岐路を前にした敗北は、単なる敗北ではなくなっていくようでした。敗北の前にはこれまで積み重ねてきた様々な経験があり、敗北があり、それを受け止めた先の未来がある。そのことを表現する演出によって、久美子の「誇り」を色づかせていました。
久美子だけではなく、真由、奏、麗奈……彼女たちそれぞれの「いままで」を映しながら、「これから」へ進んでいく姿を照らしていくところも含め、見ごたえ、いや、読み応え抜群のコンテでした。

*1:「『響け!ユーフォニアム』シリーズ 公式シナリオブック 下巻」314頁。

*2:コンテは藤田さん。

絵コンテで見る『響け!ユーフォニアム3」12話【Aパート】

第7回京都アニメーションファン感謝イベントでは『響け!ユーフォニアム3」12話の絵コンテが展示されていました。コンテ担当は『最終楽章 響け!ユーフォニアム 前編』で監督を務めた小川太一さん。

撮影可だったので記録してきたのですが、小川さんが「12話はユーフォ3の中で一番大切な話*1」と語っていたように、端書やキャプション…もろもろに面白い要素があったのでいくつかピックアップしてみたいと思います。

今回はAパートから。

 

まずアバンラスト。
本編では久美子に被せるようなタイトルロゴはなく、この演出はカットされてます。
最初コンテ見たときにはハッとするようなインパクトで、かっこいいじゃん…*2ってなりました。京アニだと本編にタイトルロゴ被せる演出は見たことないかもです。

 

53カットからのアクションつなぎ。
こういうカット終わりにセリフを最小限にした、小さく表情を変える芝居に小川さん味を感じます。小さな表情の移り変わりをさりげなく切り取ることで、心の隙間に隠れた深層に触れているような演出。横顔は京アニイベントで「小川さんのフェチ」と言っていた要素でもあります。

 

オーディションあとの職員室のシーン。本編では久美子の「先生、あの…」というセリフでシーンが終わるんですが、コンテでは「理想の人ってどういう人ですか?」までセリフをいれています*3。いずれにしても、コンテにあるとおり「答えはあとで」。ただ、本編では「答え」だけでなく「問い」さえも物語のフックになっているのが印象的です。

 

本編ではカットされた、オーディション結果発表の後、帰りの電車内のシーン。ここでは靴に入った小石を取り除く久美子の芝居があるんですが、これは久美子の進路の部分にかかってるんですよね。
先ほどの滝先生とのやりとりの中で進路を固めたであろう久美子の「胸のつかえが下りた」表現。ちなみにこの小石を取るという芝居はシナリオから書かれているので、花田さんの案だと思います*4

 

ここからがまた面白いところで、コンテでは久美子が自宅に帰った後、両親へ進路のことを伝える場面が描かれています。そこでは進路を伝える直前のカットで足元を映すんですが、こちらはシナリオには描かれていない足元の演出。小川さんお得意の足元カットでもあり、「石が取り除かれ、まっすぐ立つことができるようになった久美子」としても映りました。花田さんと小川さんのタッグ演出技、といった感じですね。
本編では小石を取るシーンと同様にカットされてます。演出上の繋がりも意識して、なのかもしれません。こうしたモチーフの重ね方、映し方がめちゃくちゃ上手だな、と関心した次第です。

 

前後しますが、こちらも帰りの電車内のシーン。バツがされてるとおり、電車内のシーンは総じてカットされてます。
さっきのアクションつなぎと同じ話になってしまいますが、こういう久美子の表情の映し方がめちゃくちゃ巧いですよね。あっさりした表情に見えて、単に悔しさだけじゃない、いろんな感情がギチギチに詰まってるような表情。そのニュアンス。

 

電車から降りた京阪宇治駅、久美子に喝を入れる麗奈のカット。キャプションに「1期9話のニュアンス*5」とあるのが面白いですね。
この「頬を挟む芝居」は2期3話*6にもあったりして、二人の定番のハンドサインをここで盛込んでいるのが良いな、となります。この時にはまだ、二人の仲にわだかまりがあったはずなので、それを解消するいつものハンドサイン、というような。

 

自宅についた、玄関前の久美子。
「今度は自分で」。自分の進路は自分で背中を押す。シナリオにはない芝居です。頑張れ久美子。

 

Aパート終盤、ソリスト決め直前の奏とのシーン。
「ちゃんと聞いてほしい。それで、良いと思った方にいれてほしい」と伝える久美子の真意を受取る奏。返事をするまでの微妙な表情が素晴らしかったです。コンテだとそこまで指示書きはなく、微妙なニュアンスの表情は原画マンと演出の山村さんの仕事。ここもコンテと演出、原画の合わせ技ですね。
オーディション後に奏が言う「どうしていつもいつも貧乏くじを引きたがるんですか」という言葉がここでこぼれ出そうになってしまったような、そんな表情にも見えました。画面が引いたあとにようやく返した短い返事には、その言葉をそっと飲み込んだ気配が残っていて、カット割りによって生まれたわずかな間の作り方が物凄く繊細でした。言葉にできなかった想いが胸の奥へと沈んでいく時間であり、それでも受け入れようとする気持ちのあいだの、その一瞬。
この話数で奏は見守る側に立たされますが、その立場だからこその揺らぎの描写が、本当に素晴らしかったです。

 

以上Aパート。

コンテを見ていると過去のエピソードを踏まえたニュアンスや芝居の多さが印象に残ったんですが、それと同時に小川さんが語っていた言葉が頭に浮かびました。

-『ユーフォ3』の制作にあたり、演出スタッフの皆さんで話し合ったことや、監督からお話はありましたか?

(中略)

小川 言ったとすれば…前の作品はしっかり観ようねってことくらいで、そこから受け取れる、あるべき姿をみんながそれぞれ明示してくれたのかなと思っています。*7

彼女たちの「あるべき姿」を、シチュエーションによってテンプレートを貼り付けるのではなく、歩んできた過去から明示する。小川さんの目指すべき『ユーフォ3』が、まさしく体現されたコンテだと思いました。

*1:「響け!ユーフォニアム3 メモリアルファンブック」94頁。

*2:


*3:「『響け!ユーフォニアム』シリーズ 公式シナリオブック 下巻」304頁、同じシーンではそこで「答え」を明かすような内容になっています。

*4:同上、305頁。

*5:

左が1期9話、右が3期12話。久美子がやり返すところ含めて同じなので、ニュアンスの域を超えたシンクロ。こうやって並べるとちょっとウルっときちゃいますね。オーディションによる人間関係のこじれを恐れていた久美子が、実力勝負の場に真っ向から対峙するようになった。黄前久美子、ここまできたな…みたいな。
ちなみにシナリオブックを見ると、二人が拳を付け合わせる芝居になっています。なにげない瞬間にも「これまで」が宿っていて、見事な演出です。

*6:

新山先生登場で落ち込む麗奈に対する久美子の芝居。

*7:「響け!ユーフォニアム3 メモリアルファンブック」92頁。

『最終楽章 響け!ユーフォニアム 前編』、「間」と「呼吸」。

『最終楽章 響け!ユーフォニアム 前編』を見てきました。

総集編という位置づけでありながら、新規カットを巧く織り込んで「3年生・黄前久美子」の物語をさらに補強する作品になっていて、とても素晴らしかったです。単に既存のカットを取捨選択するのではなく、久美子の「これまで」をより際立たせるような構成が見事でした。実際、冒頭では2期13話終盤のシーンがそのまま用いられていました。

ユーフォニアムに対する情熱、そして最上級生としての姿。その両面において久美子の理想であるあすかとのエピソードから始まることで、「これまで」が彼女にとって決定的な意味を持っていることが刻まれていました。

そのうえで、新作カットが映し出すのは、数々の経験を重ねてきた久美子と、彼女を中心に築かれてきた北宇治高校吹奏楽部の「いま」です。

そして、その時間の積み重ねと、彼らの思考をかたちにしているのが、「間」と「呼吸」の演出でした。

新規カットにある「間」。

まず印象に残ったのは、先に挙げた2期13話の回想あと、久美子が「響け!ユーフォニアム」を吹くシーン。

唇を滲ませる動き。吸い込む呼吸音。どれも演奏には当然の所作です。
しかし、その一つ一つを丁寧にすくい上げる「間」とカットワークが、直前のあすかとの記憶を噛みしめる久美子の思考を、静かに浮かび上がらせていました。

「あのとき」から繋がっている、ということを印象付ける校内の点描も素晴らしかったです。現部員を映す点描の合間に、あすかとの想い出が残る無人の校舎裏を映す。久美子の寂しさを静かに切り取った、映像としての「間」。無人であることが心に空いた小さな穴のようでもあって、久美子の心象風景ともリンクしていました。このさりげない景色の点描が、優しくもあり、切なくもありました。

 

「全国大会金賞」を目標とするシーンでも、目標が決まったあとのカットは新規カットでした。ここではダイアログの合間に挿入される久美子のアップショットという「間」が見事でした。
「全員、一人も欠けることなく一致してほしい」と願った目標決めがそのとおりとなった安堵感と、今まで叶わなかった目標への想い。久美子の中で溢れる様々な感情を言葉で語らず、「間」で見せる演出でした。テレビシリーズのときには「部長としての未熟さ」みたいなものが印象に残るシーンでしたが、そこを久美子の思考へクローズアップさせることで、「これまでを経験した久美子」を映し出していたように感じます。

新規カットにある「呼吸」。

「呼吸」は、北宇治高校吹奏楽部に流れる、言葉以前の熱量そのものでした。それが最も端的に表れていたのが、サンフェス後の部員たちの呼吸であり、関西大会で課題曲を終え、自由曲へと向かう直前の呼吸でした。

いずれも「達成感」や「一体感」とも言える演出ですが、本作においてはそれだけでは言い切れないと思うんです。彼らは一度、「全国金」という目標が揺らぎ、「オーディション」という目の前の不安の中で逡巡していました。その迷いは、目標に本気で向き合ってきたからこそ生まれたものです。

それでも久美子は言っていたわけです。「目指しているところは同じだから」と。「不満も戸惑いも全部吹き飛ばす最高の演奏して全国に行きたい」と。「こんなに真剣に向き合っているのに響かないはずない」と。ここでの呼吸はこうした同じ目標へ向かう「いまの北宇治」の結束力と想いの強さが具現化したものだったと思います。

同じ方向を見て、同じような高揚感を抱きながら呼吸をしている。言葉でなく、乱れた呼吸だけでそれを表現する演出力に、心が震えました。

思考を可視化する「間」と「呼吸」。

本作の「間」と「呼吸」は、単なる実在感のための演出ではありません。
「間」は久美子の記憶の蓄積のようでした。

あのとき、同じような状況で。あの人たちは何を話し、何を考えたのか。

そうした記憶の蓄積が、現在の久美子の沈黙やその後に発する言葉の選び方に影響しているように見えるのです。

一般に、アニメにおける「実在感」は、細やかな所作や、背景や撮影とキャラクターの調和といった視覚的なリアリティによって語られることが多いと思います。しかし本作の場合、それに加えて「考えている過程」による実在感がありました。「間」は単なる演出上の余白ではなく、彼女が思考し、逡巡し、結論へと至る時間として存在しています。そして「呼吸」は彼らが多くの時間を費やしてきた「全国金」という目標への想いを表現していました。

だからこそ、発する言葉や呼吸は「用意されたもの」ではなく、「時間をかけて積み上げてきた想い」として響くんだと思います。

自分の経験を踏まえて考え、選び取り、言葉や行動にする。「間」と「呼吸」は、その思考を可視化していました。そしてそれこそが、舞台挨拶で小川さんが語った「繋ぐ」というテーマを、最も純粋なかたちで体現した表現だったのだと思います。