『ツルネ -つながりの一射-』4話 「大人たち」のヒント。

3話では弓から距離を置くよう諭された湊、というラストでしたが、4話で湊だけに焦点を絞らなかったのは意外でしたし、それが面白かったです。
「湊と雅貴」や「湊とその他」という構造ではなく、「いつもと違う」感覚に弓道部5人がそれぞれ考える。対立構造を強調したシリアス演出ではなく、問題に対してそれぞれが向き合う姿勢からドラマを作っていました。登場人物が「動かされている」のではなく、「考えている」と思わせるストーリー展開だったな、と感じました。
 
ただ、根底にあったのはやはり「湊と雅貴」だったわけですが、これを「高校生と大人」という関係性を印象付けることで「対立」ではなく「対話」としていました。
「高校生と大人」が関わる空間はこの話数だけで7つもありました。
・雅貴
・トミー先生
・古典の先生
・美術の先生
・湊の父
・海斗の姉
・永亮の叔父
 
どれも距離感が異なり、言葉のトーンも異なりますが、一つ共通点がありました。それは「大人」たちが、それぞれがそれぞれの立場やスタンスで「高校生」側にいる登場人物にヒントを出してくれていたということです。
 
古典の先生は単純に授業を湊を注意するだけですが、「周りを考えずに弓を引く湊」を最初に直接叱る「大人」です。関係はあくまでも「古典教師と生徒」であるだけなので、湊がその場で気づきを得るわけではないですが、この後続く「4話の大人たち」の導線を引く役割だったと思います。
美術の先生もセリフは2つしかありませんでしたが、「よく見ろ」という言葉から七緒と涼平が「キレイな射と上手い射」について言葉を交わし始めます。美術の先生の「影にもグラデーションがある」というセリフも面白いですよね。個人的には「キレイな射」、「上手い射」も100%そうではなくて、どこかに「きれい」「上手い」だけではない、それぞれの個性がある、というような意味合いに感じました。
また、涼平が「上手い」と感じた絵を描く七緒の手は黒く汚れているんですよね。「きれい」を作るためにどこかで苦労をしている。これも一つ、美術の先生の言う「影にもグラデーションがある」なのかもしれません。

 
海斗の姉のシーンも面白かったですね。姉弟だからこそ感じ取れる弟の「いつもと違う」をからかいつつ、海斗に気づきを与える。海斗自身は姉からヒントをもらったとは思わないでしょうけど、不器用な海斗にさりげなく寄り添う感じがでていてとてもよかったです。足でズボンを蹴り上げる海斗の芝居も絶妙でした。姉の軽口を交えたおせっかいが、いつも海斗のそばにあるのが手に取るようにわかります。
 

この「大人たち」のヒントにもう一つ共通点があるとするならば、「ヒントの出し方の上手さ」なのかもしれないですね。
練習の時に湊が木の弓を引くことを指示されるシーンなんかは納得のいかない湊に寄ってもいいような気がしますが、シリアスにしすぎずギャグチックな空気。ここも絶妙でした。
 
一方で「高校生と高校生」という関係性はネガティブな感情を剥き出しにしていたのが印象的でした。
特に七緒と海斗の駅のシーンでは顕著でしたね。
 
このシーンまででも七緒は海斗に「考えを吐き出せ」と言い続けていましたが、海斗には海斗なりのプライドがあって、七緒は上手く海斗の心情をほだすことができません。ここでいうなれば「ヒントの出し方がヘタ」な言葉なのかもしれません。ただ、そこまで言わないとわかってくれない海斗を知っているからこそのやむを得ない「ヘタ」なのかもしれませんが、結果的には「大人と高校生」の関係性の映し方は差異がありました。
 
ただ、「高校生と大人」、「高校生と高校生」いずれの関係性にも言えることは、相手への攻撃ではなく、あくまで「問題の解決」のための関係性であること、でしょうか。
今話数の物語はヘタをすると湊が雅貴の指導や人格批判へと発展したり、海斗と七緒の傷つけあいに繋がったりすると思うんです。そっちのほうが物語のフックとしては作りやすいんだと思うんですけど、あくまでここでの障害は「弓を引く時の不協和音」なんだ、と主柱を動かさない作品のスタンスが素晴らしかったです。


ラストの湊と雅貴のシーンは「大人と高校生」を対照的に映す象徴的なシーンでした。「見返してやる」という直接的な言葉の子供っぽさと、答えを提示しない抽象的な雅貴の言葉。「大人」からは答えを出さないからこそ、「高校生」はその答えを求めて前に進んでいこうとする。その答えを求める姿が、登場人物が「動かされている」ではなく「考えている」と思わせてくれるのかもしれません。

そんな「大人たちの言葉」に振り回されつつ進んでいく湊の道は、緩やかな蛇行を描いている。でも、前へと進む原動力にもなっている。
このラストカットがこの話数をすごく的確に表現しているように感じました。