『ツルネ -つながりの一射-』2話、3話 湊の瞳の演出

山村さんの演出となると気になってしまうのが瞳の演出…という個人的な先入観?もあって、やっぱり『ツルネ -つながりの一射-』(以下、2期)の1話に続き、2,3話も瞳の演出に目が行ってしまいました。
ただ、2期1~3話もそうですし、オープニングのサビ部分のファーストカットもそうですけど、大事なところには必ず湊の瞳に意識を寄せる演出がありました。
今回はそんな湊の瞳が2話から3話でどう変わったのか、みたいなところに注目してみたいと思います。

物語に関して、2話では湊というよりも、風舞高校弓道部の他の登場人物や愁にスポットが当たる時間が長かったです。特に、1期ではなかなか描けなかった湊と静弥以外の登場人物のバックボーンについて触れていました。涼平で言えば、短いシーンでしたが姉との関係性が触れられ、その後に愁の妹・沙絵と親しくなる。海斗は中学校の頃の同級生との記憶、そして桐先高校弓道部は悠を中心としてドラマが作られていました。また、ラストには辻峰高校弓道部の面々が湊の前に登場しました。

物語の幅が一気に拡がっていくような展開でしたが、それは湊にとっても同じで、愁の弦音を聞くことが増え、そのうえ中学の頃の先輩である永亮も現れた状況は自身を振り返る時間を減らし、周りを意識する時間が増えることに繋がります。それによって3話では本調子ではなくなってしまったわけですが、演出としてそれをどう表現するか。2,3話ともにコンテを担当している山村さんは、それを音でもなく、弓を引く動きでもなく、湊の瞳に注力されていました。

2話の湊は1話の心情をそのままに、自身と的の間に挟むものはなく、弓を引く時にもモノローグがなく澄み切った印象がありました。静寂の中で見つめるのは正しく的一点。瞳のアップショットでは、瞳の中に的を映り込ませることでその心情を演出していました。このシーンでは手の内を緩めてしまったことにより的を外してしまいますが、その理由は他者との関係でも的と湊の間に障害があったわけでもなく、弓を引き続けることの難しさの表現でした。1話にも空を映り込ませる瞳の演出がありましたが、弓への純度は今も高いままであることが、ブレない瞳に現れているように感じます。

 

しかし、3話では湊の瞳にブレが生じます。
このブレの演出は愁が弓を引く姿を見るときにありました(3話では2回ブレ演出があり、いずれも愁の射を見つめる湊)。1,2話ではブレのない、まっすぐ見つめる湊の姿が印象的でしたが、そこにブレが生じてきたような感覚。瞳のブレ演出は他の作品だとポジティブな意味での「集中」だったり「興奮」、「視線の先への熱量」として使われたりもしますが、ブレのない湊が描かれたことを前提とすると、ここでは「ゆらぎ」の印象が強かったです。

一方で、永亮の射を見つめる湊には瞳のブレがありません。ただ、静弥から「魅入られると、良いことないよ」と釘を刺されます。愁と永亮の射に差異を作るための「ブレなし」演出だと思うのですが、静弥の言葉でさりげなくネガティブな印象を残しています。また、他のカットと比べるとハイライトの明度が若干低いんですよね。どこまで意図しているかはわかりませんが、永亮の射に魅入ってしまうことの恐ろしさ、みたいなものが感じるカットでもありました。

そして辻峰高校戦、愁や永亮の射が頭に残り続け、「ゆらぎ」の中にある湊は愁の言う「いつもの調子じゃなかった」射となってしまいます。的に当てるだけでいいのか、「落ち」としての役割がまっとうされているのか…愁や永亮の「落ち」の姿がしこりとなって消えない湊に、2話までの「純度」はなくなってしまいました。

この「純度」という演出に「ブレ」を使うのが上手だな、と感じます。物語としてブレを作るならば的を外せば良いし、良い射でないことを演出するならば音や矢の動きで誇張すれば良いわけですが、「動きの結果」で表現する演出でなく、そこに至るまでの「心の過程」の演出への注力は、登場人物に寄り添っていないと浮かんでこない演出だと感じました。

弓道への純度が濁りつつある湊。4話以降ではそれをどう演出するのか、そしてどのような演出をもって、再びそれを取り戻すのか。おそらく4話以降は別の演出さんが演出されるのかと思いますが、そこの差異も含めて、「湊の瞳」にはますます注目したくなりました。