武本康弘さん演出の"振り返る"を振り返る。

"振り返る"芝居って、ぶっちゃけそれだけで絵になります。

有名な『見返り美人図』から始まり、アニメ作品に絞っても、『君の名は。』のラストシーンであるとか、キャッチーなものだと「シャフ度」なんて呼ばれた『化物語』の"振り返る"がありました。

随分前から”振り返る”演出は珍しくなくなっています。ただ、それでも、武本康弘さん演出回の"振り返る"は自分にとって特に魅力的なものが多いのです。

氷菓』1話

まず浮かんでくるのは『氷菓』1話のアバン。
奉太郎が初めて文芸部にやってくるシーンですが、奉太郎に気づいて"振り返る"えるは1コマ作画でその表情の移り変わりを繊細に描写されていました。

二人のボーイミーツガールとしての印象付けもあると思うのですが、それ以上にえるの振り返る仕草と表情の繊細さが印象強いです。

このシーンは奉太郎とえるのカットバックで構成されるのですが、奉太郎を捉えるカメラは第三者の視点であるのに対して、えるを捉えるカメラは奉太郎の主観になっています。えるの瞳に吸い込まれているような奉太郎の表情を客観的に見せる一方で、「奉太郎が釘付けになっているえる」を説得力あるものにしなければいけない。この1コマの"振り返る"は、その時間の濃密さを印象づけるものとして、完璧なエクスキューズとなっていたと思います。

AIR』3話

この話数での"振り返る"は武本さんの「巧さ」が光ります。

学校へ走っていく観鈴のカットですが、途中で転んで、起き上がって"振り返る"。往人に対する観鈴バツの悪さを、観鈴の幼さを込めて演出しているところに武本さんのアイデア力を感じます。加えて、少し高めのカメラ位置もアクセントになってます。

アニメでよく見る「ドジっ子が転ぶ」カットって、転ぶ前と転んだ後を見せるものではなくて、転んだ姿が多くないですか?「転んだ」というポーズを映せば普段とは違ったポージングをとらせることができるし、「ドジっ子」という要素も伝わるからそうするんだと思うんですが。

でも、このカットはその肝になる転んだカットを映していないんですよね。むしろそれを隠すかのようにカメラ位置が高い。その意図としては記号化されたドジっ子ではなくて、観鈴という登場人物を見せたい、ということなんだと思うんです。
「学校へ向かっていく」という生活の中にある芝居と、転んだ後のバツの悪そうな表情を映すことで「ドジっ子」という要素ではなくて、「観鈴の自然な表情」を引き出すことができる。"振り返る"という芝居も、往人から見たように映すことで観鈴の飾らない表情をシームレスに掬い取るためにあるのだと思います。

こうしたカメラ位置や1カット内の芝居構成に武本さんの「巧さ」を感じずにはいられないです。

『日常』16話

この話数は学校に通い始めたなの宅にゆっこがいきなりやってくるエピソード。
ゆっこが帰り際、自身がロボットであることを隠そうとするなのに対して「なのはなののままでいいんじゃないかな」と伝えるのですが、そのときのゆっこの"振り返る"がとても好きです。

帰り際のシーンまではギャグが続くんですけど、玄関に来た途端に夕景の感傷的な処理やレンズ感のある画面づくりとなるのがまた良いんです。京アニの演出力ギアを一気に入れ替えたような、本領発揮感がすごく良い。

そしてその演出の素材は「ゆっこのシンプルな笑顔」。この笑顔を印象的なものにするための、直前のカットの積み重ねも上手です。この笑顔を見せるまでゆっこの表情は映さず、最後に画面中心にゆっこの笑顔を映す。"振り返る"笑顔をドラマティックにする武本さんの導線の引き方が素晴らしいです。

ゆっこ役の本多真梨子さんの「今日はそれを言いに来たのだった。忘れてたよ」という台詞の優しいトーンも素晴らしく、演出・作画・撮影・声優…どのセクションも「ゆっこの笑顔」の魅力を理解して画面を作っているのだと思います。そしてその魅力の一翼を担うのが、"振り返る"でした。

『日常』25話

『日常』の武本さん回でもう一つ、素晴らしい"振り返る"がありました。
この25話ではみおが失恋(?)してしまうんですけど、それを励まそうと大福に扮したゆっこたちが「一生友達でいてあげる券」をみおに渡します*1。渡されたみおは、受け取った後にゆっこたちを"振り返る"。

正体を隠しているつもりのゆっこたちの気持ちを慮りつつ、感謝の言葉を口にしたくなりつつ、一緒になにか食べに行きたかったな、と思いつつ…そんなみおの名残惜しさを感じさせる絶妙な"振り返る"が本当に素晴らしいです。
その後、再び前を向いて歩き出すみおの目線の残し方にもそんな感情が見え隠れしていて、この"振り返る"でみおの伝えたかった気持ちが凝縮されている気がしました。

小林さんちのメイドラゴン』1話、『氷菓』22話

"振り返る"芝居にはドラマティックな印象がある一方で、感情に含みがある場合にも使われたりします。
小林さんちのメイドラゴン』1話では、急に現れたトールに対して「自分だけのメイド」という要素に惹かれつつも同居を断る小林のシーンで使われていました。本気で小林のもとへやってきたトールの涙を、目だけで"振り返る"小林が印象的です。

トールの本気度に驚きつつ、悲しそうに去っていくトールに声をかけることができない。そんな小林の感情を目だけ"振り返る"という芝居によって表現しているのが上手です。

その後、呼び止められ、振り向いた後のトールの表情を映すわけですが、この小林の"振り返る"とは対比的に振り返ったトールの表情を映すところにテクニックを感じます。

武本さんはこの目だけ"振り返る"を、『氷菓』22話でも使っていました。

こちらは奉太郎が空想上のやり取りを浮かべ、こんな景色になるのだろうか、という含みを込めた"振り返る"でした。ここで完全に振り返ってしまったら奉太郎の「俺が治めると言うのはどうだろう?」という頭の中の言葉が本物になるか、はたまた浮かべる間もなく消えてしまうのか。そんな情景の境界にあるかのような、目だけの"振り返る"だと感じました。

"振り返る"から溢れる登場人物の心の動きと、武本さんの情熱。

武本さんの"振り返る"を振り返ると、その表現の多彩さにまず目を引きました。並べて紹介した『小林さんちのメイドラゴン』1話と『氷菓』22話においても動きの少ない"振り返る"でありながら、目線や瞳の揺れ方や画角…表現の仕方によって受け取るものはまったく異なります。小林と奉太郎はあまり表情や動きに感情が現れない…いわば「近いタイプ」の登場人物ですが、それでも、です。

画一的なものではなく、多彩な表現の根底にあるのは、単に武本さんの「引き出しの多さ」だけではないように感じます。それぞれの人物のその時々の感情を最大限に汲み取ろうとする心意気なくして生み出し得ないと、各作品を見ていて思いました。

前述のとおり、"振り返る"という演出、表現自体は武本さん独自のものではありません。"振り返る"という行為は今まで前を向いていた人物が別の方向を向く転換点でもあり、物語や会話の流れに抑揚をつける芝居として様々なところで目にします。

ただ、それでも、武本さんの"振り返る"は特別魅力的です。登場人物の感情を目一杯乗せた"振り返る"と、その芝居に寄り添った武本さんの特別な情熱を強く感じるから、そう思うのかもしれません。

*1:このシーンはアニメオリジナル。